風のオマージュ その10
みつべえ

☆萩原隆詩「氷海」の場合




白い皿の上で
蟹を解体する

節という節をへし折り
甲羅を割り
白い肉をせせり喰う
朱金色の脚の内側を裂き
固いはさみを砕き
脳味噌をひらき
蟹の爪で蟹の肉をせせり喰う

雪の気配がする
遠く暗い海を想う

蟹の執念が
潮の匂いを放つ
ばらばらになった
蟹の殻が復原して
ざわりと動きだす

蟹は歴然とそこに在る

     
     ※詩集「氷海」より「蟹」




 七〇年代初頭の正月、斜里町の営林署に勤めていた父が帰ってくるなり「ほい、読んでみれ」と私に手渡した本が詩集「氷海」だった。おそらく同じ公務員ということで当時は営林署と電々公社で働く者たちは親しい関係にあったのだろう。人のよい父が萩原隆詩の職場である電々公社の友人から、この詩集を買わせられたのは容易に想像がつく。そのころ私は高校生で、旺文社の受験雑誌に載っている詩の投稿欄にせっせと作品を送ったり、営林署の輪転機を借り出してガリ刷りの詩集を作ったりしていた。それで父が気をきかせて地元に縁のある詩集をもってきてくれたのだろう。
 全国で毎年たくさんの詩集が発行されるが、その多くは内輪で配られ、一時的に話題になってもその後は本棚の奥へ迷宮入りになる。この詩集も、っていうか、自費出版されるほとんどの詩集は、そういう運命をたどる。書物は開くまでは死んでいる、といったのは寺山修司だが、そうやって奇跡的に一人の読者があらわれるまで、哀しいほど謙虚に大多数の詩集は死んでいるのだ。
 
 一篇の詩との出会いとその摂取は、読者(私)の個人的な事情を別にしては語れないものだと私は思う。極言すれば、ひとつの詩、一冊の詩集について語ることは自分史を語ることにひとしいのだ。優生学的に「優れた詩」だけを歴史の表舞台にノミネートするアカデミックな方法ではなく、私以外、世界中の誰一人読むことのない作品、私だけが友人であるような詩集があってもいいのではないか。このマイナーな詩人の本をときどき開いて蘇生させている読者は、宇宙開闢以来、私だけだろう。その意味で、この詩集は私の貸し切りである(笑)。

 「蟹」は、とりたてて、すごい作品ではないが「ばらばらになった/蟹の殻が復原して/ざわりと動きだす」に原型へ戻ろうとする切ない意志を想う。そのロマンが前半の蟹を解体するリアリズムと玄妙に融合していて、私の趣味にぴったし。序を寄せているのが丸山薫であることにも興趣を感じる。丸山薫は当時、電々公社の機関誌「電信電話」の詩の選者をしており、萩原隆詩が熱心な投稿者であった縁で詩集「氷海」の序をかいたらしい。丸山の死と「四季」の終刊が1974年であったのを思うとき、私は血の系列のようなもの、それはたとえば、伊東静雄や立原道造、中原中也まで一気に遡ってゆく種類の感覚をおぼえる。




真っ逆さまに
墜ちていった落日の
残照にひるがえる
かもめ

 すべてをゆるすことが
 愛であることのむなしさ

ひたすらに想いをこめて
追っていった
エメラルドの魚は
遠い水脈を遊泳している

 言葉はいつも
 真実を語るに足りない

あの日
陶酔して
見送った日没の
残照が
かもめの内部にひるがえる


  ※同詩集より「かもめ」




 あれからン十年たったいまも「墜ちていった落日の/残照にひるがえる/かもめ」という詩句が口をついて出る。脳細胞の活発なときに刻印されたせいだろう。それにしても現代詩とはかけ離れた舞台の書き割りのような詩に、なぜ私は魅かれたのだろう。そこに理屈ではない何かがある。口にだして読むと、この詩の単純なダンディズムがよく伝わる。かっこいいのだ(笑)。そこでもうひとつ引用する。これらの詩が私以外の者の目にふれるのは、これが最後だろうから。




遠いメルヘンの中へ
まどろみかける脳髄に
しんしんと
重い雪片ふりしきり
ほうふつと灯る
赤いランプ

雪の夜半
夏の日の海に捨てた
貝をなつかしみ
あれはかぎなく美しい
宝石であったと思う


 ※同詩集より「追憶」




●萩原隆詩  

東京生まれ。この詩人については詩集に書かれている以上のことはわからない。1970年当時、北海道詩人協会の会員で、札幌郡広島町にて日本電信電話公社(現.NTT)に勤めていたらしいが、現在の詩人協会の会員名簿にはないし、廃刊になるまで北海道の文芸の公器だった「北方文芸」のバックナンバーの記事のなかにも見当たらない。



 
 
 



散文(批評随筆小説等) 風のオマージュ その10 Copyright みつべえ 2003-12-05 12:59:08
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