逃げる事と日本人
田中教平
近くのお寺さんを巡ってその解説文を読んでいると
このお寺は「駆け込み寺」であった、とか
「縁切り寺」であったと記載されていた。
その、時代は翻って分からぬが
家庭内で例えば旦那が女房に暴力をふるったり
執拗に責めたりした際には、耐えられぬから
そのお寺がセーフティネットとなって、駆け込んで
事情を訴えれば、その身柄を保護してやるといった事が
じっさい、行われてきた歴史があるのである。
又、江戸時代の人情本を
その言葉の訳もあまり分からないまま読みすすめてゆくと
ある僧侶が、恋愛関係に陥って
じっさい、体裁を保てなくなると
そこで「では、念者になろう」と決心し
妻帯も許されている宗派替えを行う事で
婚姻関係を結ぶが、一応は、僧侶であるという立場に身を置いている事が知れる。
そういう事が慣例としてあったのだろうと思う。
話は飛んで、日本はそもそも災害国家であるから
旅館に泊まれば、わざわざ女将が部屋に来てくれて、旅館内の施設の紹介と
必ず、避難経路の確認をお願いされる。
ホテルに止まっても、避難経路の指示板がでかでかと貼ってある。
日本人は防災訓練を町内会レベルでも、しっかり行い
ハザードマップというものも広く浸透している。
以前の災害は、教訓となり、私の家の近くにも
津波以上の高さを想定された避難施設が、気づけば出来上がっている。
そもそも日本人の気質として、「逃げる」事に関してある種
重点を置いている事が見えてくる筈である。
その、最近は西欧の影響もあると思うが
ネット上でもリアルでも、議論活発である事は、大変宜しい事であると思いつつ
議論の上で「聞かれれば答えるが、あえて答えない」という選択も
それはロジックではないが、日本人の気質
情緒として許容されるべきであると考えている。
だからその日本的情緒というのはロジック、論理ではないから
「逃げている」という風に捉える向きも多いに理解できるとして
そもそも「逃げている」のであるし
その逃げ道を塞いで、全くロジックでもって相手を打ち負かしてやろう
などという事は、絶対にあってはならないと考えている。
それは私だって国会中継を観て、政治家の答弁にやきもきした事も多いが。
例えば、論理的に考える人間は往々にして
「それがなぜ問題なのか論理的に説明してくれ」と言うだろうが
私はそもそも、情緒の部分で、直感といえる部分で問題にしていることが
これまたある、と思っているのである。
そうして今「言語化ブーム」であるが、言語化ではなく、私は説明だと思っている。
そして、その説明ができない、という点で人間は苦しむ事もあると思うが
今、再び念頭に置かないといけないと思っていること事は、「逃げる事と日本人」なのである。