小説の習作 原稿用紙三頁 #16
田中教平
ユウスケは二日酔い、の頭を抱えながら、インターネットのコメントの返信を行っていたが、誤字脱字が多い。一つのコメントを書くに一時間半かけていたらば、この先が思いやられる、と思った。
Xは元々、アカウントの利用をやめてしまっていた。今、考えれば痛恨の極みだったかも知れぬ。
──と、ここまで書いてユウスケは、これが一体、面白い、楽しい事なのであるか、問うてみた。
と云うのも、ユウスケは小説募集のサイトで自分の作風に合う所が無いか、考えて探ったのであるが、角川文庫が一代でエンターテインメントへ方針を切りかえた事、又、何度かのライトノベルの盛況もあって、彼の書くものは何処にも相手にされない形であったから、完全にじぶんの、作品を閉じた形で書いて、新潮、の雑誌はとっていたから、新潮の新人賞に応募した方が、良いのではないかと、考えた。
と云うのも、彼は彼より若い詩人や作家と交流してゆく内に、彼らとじぶんの中に、確固とした一枚の膜が貼られている事に気づいて、それは一言で云えば、コンテンツ意識、であった。
ユウスケはただ、日々のあらましを思いかえして、私小説に、なっているのか、なっていないのかすら、わからないから、習作と銘うって黙々、書いていたのであるが、それが作家の矜持なり、思想性の話になると、彼は全くのデラシネであった。コンテンツ意識と共に、そもそも彼は小説に関しては稲垣足穂の「弥勒」に感化されて、そして色々な偶然の一致によってその道を選択したまでであって、すべては準備不足の段階で止まってしまっていると言えた。
思いかえしてみれば、読者の良心に支えられて、それで先達らから厳しい指摘を受けていろいろ格闘してみようと思っていたが、それでは甘い、という事に気づいた。
又、彼の嗜好に合う検索データから、アルゴリズムによって、色々サイトを勝手、紹介してくれるが、テキスト養成講座の紹介が増えてきたのである。ここ最近の事である。
仕事があるので、その文学学校に入る事は不可能であったが、彼はいろいろな方の意見やリアクションを加味する内に、しっかし、このままではいけないんだなと思った。
しかし、近くコンビニに必ず置いてある例えば時代、劇画漫画の「コミック乱」などを立ち読みしても、作品募集、作家募集はしているのであった。
三十八歳、辛い事ばかりであるのは、彼自身、数秘術に凝っていた時期に弾き出していた結果と合致して散々であった。次に人生の良い時期が来るとして六十であった。
動きづらくなった脚をさすりながら、彼はそんな事を考えて、ペンから手を離した。