A・O・I(あらい)氏
の詩を一度正面から読解してみたく思っていたのですが、
たまたま現代詩フォーラムに最新作?らしきものが投稿さ
れたので、A・O・I氏特有の一見、難解そうな詩をわたし
たち素人に毛が生えたものが、あまり必死の形相にならず、
だいたいでいいんじゃないの?という態度でどうすれば楽
に解釈ができるものか試してみました。
『あうろら』 あらい
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=395316
さて、
宇宙を旅する「あうろら」のモノガタリをともに座席に
すわって操縦桿を握りなら航海していきましょう。
しかしですね、航海するにも海図が必要です。
羅針盤もなければならないでしょう。
しかしこの詩を旅するにはポスト・モダン理論や既存の
詩の批評技術はほとんど役に立ちません。
(もちろんAIに尋ねてもムダです。特定の単語を抽出させ
るという仕事にはうってつけですが)
手にする"武器"はただひとつ。吉本隆明の「表現転位論」、
これひとつを手に「あうろら」の彼方へ飛翔していきます。
「表現転位論」といっても別にむつかしい理論ではなく、
意味がわからなくなってもそれは意味がなくなったのでは
なく表現が別の相(フェーズPhase)に転移したと思えば
いいというはなしです。例えて言えば蝶の羽化の過程のよう
に、青虫が蛹(さなぎ)になって蝶に羽化する「様相」そ
のものの変化はあっても、意味は変わらないという理論です。
それをふんまえて、
この詩の一連は以下のようにはじまります。
ちいさな船内を おちていくもの
あるくもの こちらをみるもの
わすれないように、またな
千景は目を伏せて答える
この「千景」は人の名前のように見えますが人ではなく
「千の景色」つまり「おちていくもの」「あるくもの」
「こちらをみるもの」たちがいる世界="地球"でしょ
うかね。
擬人化されていますが世界「千景」が「目を伏せて
答える」ということは書き手がその世界から離脱して
「もう二度と会うことはないだろう」と放り出されたと
いうようにも解釈できます。
今後この「~にも~できる」という都合のいい言葉が
頻繁に出てきますが、そもそもこの詩が多様多層な世界
認識の非決定という立ち位置で書かれているのでしょうが
ありません。
この詩は読者を一定の方向へ導くのではなく、
物語的な語りと断片的なイメージが交互に現れ、複数の
方向へ同時に開いていく詩であるのが特徴ですから宇宙
船のような「船内」と、そこから離れていく「外界」が
示されるといっても、それらは必ずしも二項対立として
固定されているわけではなく、むしろ意識の揺れや記憶
の層が、場面を横断的に変形させていることはいうまで
もありません。
一連で書き手は船(地球=離脱した世界)から、二連
では内的な世界の船に乗るのですが書き手はその気持ちを
こう記述します。
初めて口にした親指の晦い階段を下りるとき
今しがた沈んだパイプ椅子ごと草原を喰む
一行目は赤ちゃんが不安を感じたとき指をくわえる所作
を描いてこの旅の孤独とあてどなく曖昧で牟とした行方
を示唆しています。ニ行目はこの一行目の表現が垂直の
相から水平の相に転位したものです。暗い不安の階段を
降りてゆく(落ちてゆく)のですがその相は、別の相に
転位すればあかあかと、しかし茫漠とみどりの草原が広
がっている世界です。このニ行(二相)はイメージは違
うけれども意味としては書き手のなかでは同じです。
「パイプ椅子」は離脱した地球上で書き手が「簡便」に
「座っていた」(寄りかかっていた、出来合いの思想や
感性))を意味しています。それが書き手もろとも底が
抜けて落ちてゆきます。(未知の世界へ飛翔していきま
す)
そこでは、
母の髪を梳いた感傷にしぶくヒカリも
潮流に沿って往来していた
階段→草原→潮流と、書き手の意識世界は次々とそのフェ
イズを変えていきますが、この変化は、意味の断絶ではな
く、質感の変化として読むと容易でしょう。詩の中で「わ
たし」がどこにいるのかは固定されず、むしろ場面のほう
が主体を包み込むように変化していくのだとみることもで
きます。
書き手は「パイプ椅子」ごと落下して、そういう母の残像
が流れる感傷の「潮流」のなかにいるのです。ここまでい
えば次のニ行、
破損データ、の、ページをくだる旅
鵺の薄皮もゆっくり脈打ち
も容易に了解できます。文字通り「破損データ」(忘れ
られ記憶があいまいに歪んで破損した内的宇宙)をめぐ
る旅という表現が次の行へ転位しています。この比喩と
しての転位は「鵺の薄皮」(何者とも知れない、複雑で
つかみどころのない不気味な存在の脈動)という比較的
理解の容易な表現に替わっています。
航海日誌をつつくポリリズムの宙域で
振り返ると黒いノコギリが目を開く
二等席の時間は単線ではなく
地球には存在しない蜈蚣が浮かんでいた
疲弊した時計にさざなみは帯が速めるシンバル
この二連を読み解く鍵は「千景」と対応する単語「蜈蚣」
です。「千景」が「千の景色」なら「蜈蚣」は「百足」
つまり「百の足場」です。地球という船内には一つの足
場の上に千の景色が広がっていましたが「百の足場」と
はつまり内的宇宙を旅する書き手の前にあらわれる[
地球にはない」多様で多層な世界のことです。それは
「破損データ、の、ページをくだる旅」という説明でも
わかるように一つの足場をもたないノイズのように不確
かな世界の出現を示しています。
書き手の表現はここに至って次々と別の次元へあるいは
別の比喩へと転位していきますがその様は、リズムや飛
躍、あるいは転換、落差が次々と訪れて読み手にカタル
シスを与え、まるでジェットコースターに乗っているか
のような読書の快楽を与えます(少なくともわたしには)。
つまり詩的醍醐味でいえばこの旅は、内的宇宙を書き手
とともに巡る旅というよりは表現の転位を=詩的表現の
宇宙を冒険する旅といってもいいでしょう。
航海日誌をつつくポリリズムの宙域で
振り返ると黒いノコギリが目を開く
●「ポリリズム」(リズムの異なる声部が同時に奏される
音)が→
●「黒いノコギリ」(「ギーコギーコ」と多数の刃によっ
て奏でられるオノマトペ)と転位します。そして、
二等席の時間は単線ではなく
地球には存在しない蜈蚣が浮かんでいた
と"ノコギリ"によって切断された世界があらわれます。
この二連の最後の行
疲弊した時計にさざなみは帯が速めるシンバル
これが「蜈蚣」という表現の転位すなわち"オーロラ"の
ことだといえます。そして「蜈蚣」という語彙はそのま
えの行全体の転位であり、その行はまたそれぞれの行が
それぞれの転位になっている ── 。
ここまでを単純化するとこうなります。
第一連:外界の船(千景の世界)
↓ わたしが離脱
第二連:内界の船(意識の器)に乗り換え
↓ 内界の航海が始まる
第三連以降:内界の宇宙を航行
この詩の読解に必要なものが吉本の転位論であること、
この詩の醍醐味が表現の転位の様を思う存分味わうこと
であることを伝えるために、この書き手が外界から離脱
して内的宇宙への(あるいは表現の極限へ)向かう旅の
きわのところをこれまで解説してきました。
この二連が一番劇的なのですが、後の航海の情況を伝え
る三連以降はこれまでの解説を読めば容易に読解が進む
と思います。難解な詩に出くわして、
意味がわからない表現が出てきたら、吉本曰く。「そこで
意味が消えたのではなく別の位相に転位したと考えた方
がいい」。つまり意味や方向を追うのではなく、蝶の孵
化のようにphase(相)が別のphase(相)に転化してい
ると考えたほうがこの手の一見難解そうな詩は理解しや
すいような気がします。
それからラカンやフロイト、デリダ、ドズールらポスト
モダンの文学理論などは、ある作品を読解しようとする
批評者の、主観的な妄想を批評理論にのせて敷衍しかねな
いのであまり多用したり信用しないほうがいいような気
がします。
三連以降、読むのは面白くとも詩の「解説」としては同
じ操作の繰り返しになりますのでここはヒントを提示す
るにとどめ皆様の操縦で旅をすすめることを期待してお
わりにします。あひっ。
【付録】
以上の読解の方法をふんまえて
A・O・I「わたくしはそこよりうえにある 」 簡易読解
https://www.breview.org/keijiban/?id=13713
この詩は、冒頭の詩に出てきた「ノコギリ」のようなものによって、
「わたくし」という主体が、
自分の世界(記憶・身体・時間・風景)を次々と“切断”されながら、
別の世界へ移行していく過程 を描いています。その切断は、
夢と夢のあいだ
海と光のあいだ
素肌と腐敗のあいだ
灯台と蜃気楼のあいだ
心臓と果実のあいだ
揚羽蝶と死骸のあいだ
花束と子猫のあいだ
海水浴場と廃墟のあいだ
幽霊と妖精のあいだ
黒と白のあいだ
といった、
境界の連 として現れます。
この詩は、「あうろら」と同じ通底音を奏でており、
「世界が一度壊れ、別の像として再構成される」
という運動を持っています。
一連目
夢から夢に架けて羽ばたくときに、ちょっとの壁と扉をなくした
出口は褪黄色の海が、いや世界が、フチだけ 描いてある光景で、
今いるものがみちで届かない場所とすれば、水域はすこし背丈が
高く、ここから下ってくところもないのに、もう半分 浸ってい
ます。
ここは、世界の輪郭だけが残り、中身が抜け落ちた状態です。
「海」と「世界」が同一化し、しかも「フチだけ」描かれている。
これは、世界がまだ“描かれきっていない”状態 =未完成の世界ですが。
しかし、もう半分浸っています。
主体はすでにその未完成の世界に沈みかけている。
どうです? 「あうろら」と相似性をもっていませんか?
あとはみなさまこれをヒントに適当に解釈していってください。
それほど難解でもむつかしいことでもありません。
以上、お読み下さりありがとうございます。
あひっ。