明日から冬は居なくなるようだ。
山人
きょう未明から冬型は緩み、一気に暖かくなるらしい。まだ雪とは闘える。その一方で不毛な労働からの解放にホッとする部分もある。
今年の雪は昨年に比べると積雪量は少ない。しかし、寒波が二週間ほど連続した。冬の職場のシフトは二日出て二日休みと楽になったが、出番時間は朝五時からだからそれまで一切の家周りや家業建物周りを除雪してから歩いての出勤となる。つまり、雪の多い時には二時台から作業を開始するといった具合だ。ただそれは大変かというとそうでもなく、いわゆる儀式のようなもので、言ってみれば自虐的快楽とも言えよう。やらなければならない作業でもあるが、まだ丑三つ時に雪をさらい、除雪機でダイナミックに投雪された放物線を見ると、リアルタイムな雪との闘いを感じてしまう。
作業を終え、朝用の弁当を詰め込み、ヘルメットにヘッドランプを点灯したまま、転ばぬように無人駅まで三十分弱歩く。車道の雪壁はすでに四メートル近くになり、なるべく滑らないよう端を歩く。秋口にクマ除けに結んだ鈴がちりりんと雪道に溶け込んでゆく。午前四時過ぎの車道には何もなく、車すらも通らない。ときおり何かが下りてきて、一言二言独り言などを発したことがあったが、それはそれで楽しくもある。やがて煌々と無人駅ホームのLEDが見え始める。だから夜の雪道を歩くのは好きだ。
そんな雪との闘いがもうすぐ終わりそうだ。寂しい。首筋から吹雪が入り込み、ほほを雪が殴り、ひょーひょーと戸の隙間から入り込む風の声を聴くことが無くなるのだ。冬の雪の中に擬態した私たちは一時(いっとき)冬と集団生活をしていたのに、もう別れなければならない。ずいぶん理不尽で不毛な労働や無駄な出費だったのに、それがどうしようもないくらい哀しくもあるというのだ。まったく、不思議な感覚だ。これは私の幻の思い出だったのかもしれないが、遠い昔、私が幼いころ、母の丸い背中で眠っていた。夜の吹雪の中、母はきっと彷徨っていたのだろうか。狐火に誘われて、母はたぶん狼狽していたにも関わらず、私はそうして母の背中で丸くなって眠っていたのだった。あの瞬間から私と母はどこかに行ってしまったのであろう。もしかしたら夢の中での話だったのであろうか。母はただ、普通に歩き目的地まで行ったのかもしれない。そんなイメージなのか実際のことなのかわからぬが、雪というものは決してすべてを拒絶するものではないし、どうしようもなく冬に包(くる)まれる感覚がある。
厳密にいうと、明日から冬は居なくなるのではなく、今日の五時から冬は居なくなってしまった。とある、気になる事柄のせいで私は今日、一睡もしていない。膨大な権力が小さな生き物を壊滅させた。実のところ壊滅には至らなかったが、異星のコロニーの繁華街の一角の酒場には看板が風に揺れてカラカラと鳴っているだけのような朝であった。
こんな風に、私は一日怠惰に過ごしつつある。時間はそれは軟体動物のように少しづつ動いてはいたが、特にそれらに意思などなく、ただ私にまとわりついているだけだ。まとわりついているのであれば、わざわざそれを振りほどくこともない。やがてそれらはどうしたって気分が変わるのだ。その時、私はなにかをするのだろう。ところで、頭と手足を捥がれた生き物よ、お前はいったいどこに向かうのだ!