一九四五年一月三十日ベルリン地下壕に於ける最終演説 に肖って,
鷹枕可

多分、明日の――二〇二六年二月八日の――選挙戦に、国粋主義は勝利して終うだろう。
その帰結は世界的潮流であり、われわれの宿命である。

であるが故、諸氏ならば諸氏、諸君であるならば諸君であっても佳い。
如何か、
「自己」の思考を、
「自己」の意思を、
「自己」の尊厳を、

「国家」等と謂う馬鹿馬鹿しい祝祭媒体に、
委ねないで欲しい、と考える。

存在者――夙に「自己」の意思、概念、矜持を持つ存在者には、厳しい冬の時代が到来するであろう。

当局の取り締まり、
言論統制、表現弾圧が表面化し、常態化する可能性も視野に入れなければならぬであろう。
その際に人質に取られるのは諸君の家族であり、同僚であり、同朋である。
従属の手段は拷問であり、人質の生命の剥奪であり、諸君自身の生命の剥奪である。

官憲は秘密警察となり、憲兵となるであろう。
官憲は諸君を徴用し、諸君同士を監視せしめるであろう。
徴兵制は復活し、
適者でなければ強制労働への従事、或は収容所がその生命の終着点となるであろう。

万人が万人の監視者となり
万人が万人の徒刑囚となり、
国家と謂う一個の監獄を誕生せしめるであろう。

誰もが当事者であり、
誰もが死刑執行人の処刑者となるのだ。

此処に於いて
一個の国家、
一個の独裁者、
一個の処刑場が、完成を呈するのだ。

その時
最早
隣人は敵となり、
家族は密通者となり、
同士は裏切者となるであろう。


此処に予言する。

諸君は諸君同士の手に掛り、監獄のさなかに抹殺をされてゆくであろう。




而してそれでも猶、
諸君は孤絶の中に於いて
画き続け、
歌い続け、
論じ続け
疑い続けなければならない。
国家の甘言に乘るな。
それは口に甘く、腑に苦い毒の蜜である。

冬の時代が何時迄続き、誰を粛清し、抹殺し、処分するかは判らぬが――、

諸君は是が非でも抵抗を手離さず、復、地下に潜伏をするとも、
隣人を守りつつ、
他者を庇いつつ、
同志を探しつつ、

「自己」として

如何か、生き延びて欲しい。


私からは以上である。


また会おう。



自由詩 一九四五年一月三十日ベルリン地下壕に於ける最終演説 に肖って, Copyright 鷹枕可 2026-02-07 16:41:24
notebook Home