凄いぞ!TOP10 「甦るデカルト」(前投稿のつづき)
室町 礼
透明な時間
砂時計のなかの
静寂が、
机のうえで
ふわりと膨らむ。
窓辺の光が
埃を踊らせて、
世界が少し、
優しくなった。
君のとなり
信号待ちの、短い沈黙。
君の影が
僕の影と
手をつなぐ。
青に変わっても
気づかないふりで、
もう少し。
落書き
雨上がりの空に
消えそうな
飛行機雲。
だれかの、
言えなかった言葉みたい。
これらの、まるで詩のような心的な記号(心のテンプレート)
はAIが一瞬でつくったものです。
0.1秒でした。
また、これらはわたしがAIに指示してつくらせたものではなく、
googleの検索窓で、かつてあった詩投稿サイト「ぽえ」なんと
かを探そうと打ち込んだ「ぽえ」をAIモードの検索窓が何を勘
違いしたのか一瞬につくりだしたものです。「まだまだ幾らで
も生成できますが如何ですか?」という言葉があとに続きまし
た。
おそらくAIが作り出したこの詩は、どこのネット投稿サイトへ
出しても「イイネ」がつくでしょう。なぜなら詩ではないか
らです。わたしはAIがドヤ顔で作り出したこのような心のテン
プレートを詩とはみなしていません。また、このような詩もどき
は一瞬にしてわたしの感性からは排除されます。でも、おそらくネ
ット投稿板では「ほっこりしました」「やさしさにうたれました」
etcという声が届くでしょう。
これらの詩は「構造しかない日本人」の空洞化した心に響く"詩も
どき"なのですが、いまはこれが日本の現代詩の主流になっていま
す。(コアなところではさすがにそうじゃないと思いたいですが)
わたしが「凄いぞ!TOP10」でとりあげた方々の詩を見て下さ
い。るるりらさんやそらの珊瑚さんその他の方々の詩になぜわた
しが違和感を覚えたか。
あてどない雪
とけてしまうまでの
つかのま
弱音はあたたかい
(そらの珊瑚「冬のいろ」)
やっぱり おなかのあたりに
虹がある
(るるりら「はらぐろくも むなしくもない」)
「弱音はあたたかい」ということばが出てくる必然性や根拠はじ
つのところこの詩のどこにもありません。
でも、それがどこから出てきたかが問題なのです。
「やっぱり おなかのあたりに/虹がある」という言明もかなり
強引です。でも、これらのフレーズは人々の心をなごませます。
冒頭のAIの詩の世界と相似性をもっています。
AIは世界中の詩を検索して、そこから、
空洞化した現代人の心に忍び込んだ、クリシェな心のテンプレー
ト一式を、数千、数万、数億と取り込み、それを編集して詩を生成
します。なぜそんなことが可能になったかといえば、ひとつは、
現代人の心が空洞化して、そこには「みんなから共感されるみんな
のことば」が埋まっており、詩を書く人が、詩を書くとき、それが
わたしという自意識の実感であると誤認されて出てくるからです。
つまりは「このわたしの実感」ではないのに「このわたしの実感」
から出たもので詩を書いていると思わされているのです。だから
AIは冒頭に掲げたような詩を幾千幾万と一瞬にしてはじき出しま
す。心的な描写であればあるほど、これからますますAIはその感度
を高め、修辞の方法を精妙にし、音韻も思想も複雑化させてイイネが
届きやすい詩を量産するでしょう。
つまりAIは現代詩フォーラムのようなところで常にTOP10を飾る詩し
かつくれないのですが、それを量産するでしょう。
ではAIに決してつくれない詩の領域があるとすればそれはどんな
ものになるでしょうか。
わたしたちが今のように心を虚しくして生きている時代に、外部に
向かって言葉を発するとき、どうもAIはそういう抵抗の詩はまったく
無力なようなのです。デカルトのように「すべてを疑え」というし
かない時代には「自分の実感」すらも疑えという感覚はなかったの
ですが、この
「疑い」の根拠を身体にもっていくことをデカルトはしなかった。
わたしが、るるりらさんや、そらの珊瑚さんら、いわゆるTOP10詩に
違和感を覚えるときには頭は稼働しておりません。なにか知らないけど
身体がむずむずとそれを否定する、その身体感覚でまず身を反らし、
その違和感の正体をつきつめようとします。
これがわたしのいう「新しいデカルト」の方法の必要性が喫緊に迫って
いるということなのですが
でも、AIはこんな風に外部に出ていくような思想的な言葉を詩にすること
が出来ません。つくったとしても非常に陳腐なものになる。
それは何故かというと、心的なテンプレートは世界中から幾らでも回収
できるのに、先進的な思想は回収できないからです。というのも、
「サヨクリベラル」や「全体主義」といった強い具体性を持つ言葉、
あるいは「方法的懐疑」という明確なロジックを詩の中に持ち込もうとした際、
AIはそれらを「説明」することに執着してしまうのです。
つまりAIはAIがつくった社会批判詩のテンプレートを当てはめてしまう。
「冷たい社会」「偽物の涙」「目覚めよ」といった、それらしいフレーズ
の組み合わせ。しかしそれは心のテンプレート一式には通用しても外部批判に
は通用しません。
「心のポエム」が瞬時に量産できるのは、現代において「内面的な情緒」
そのものが、すでに高度な消費財(アルゴリズム)として完成されている
からでしょう。優しさ、癒やし、切なさ。これらは「こうすれば機能する」
というコードが共有されているため、AIにとっても最も再現しやすい領域です。
「社会批評の詩」が難しいのは、それが「既存のテンプレートを破壊す
ること」そのものを目的としているからに他なりません。