凄いぞTOP10『はらぐろくも むなしくもない』るるりら
室町 礼

幾日も 焦燥感に さいなまれて
ある日 ハヤの泳ぐ川の水が
ありありと 心の中に流れる

澄んだ 水の感触 腹黒さも胸の焼けたような虚しさも
済んだ

棲んでいると からだの内側から 虹が出る
空に登る 地も見える 地に足をつける

やっぱり おなかのあたりに
虹がある


中盤の「澄んだ/済んだ/棲んでいる」の畳み掛けはやや
安直といわざるをえないでしょうね。
同音異義語を利用したライム(韻)は、よほど必然性が
ない限り「オヤジギャグ」のような軽薄さを生みだす。
せっかく「ハヤの泳ぐ川」という具体的で美しいイメージ
を提示しているのに、この言葉遊びが入った瞬間に「川の
光景」から「作者の机上のパズル」に引き戻されてしまう。
コメントにも「ウソ」と辛辣に書きましたこの詩の「虹」
ですが、
ぶっちゃけていいますと今の日本の詩が書かれる情況はい
わずもがな最悪です。そこで「虹」という言葉はインフ
レーションを起こしているわけです。「腹黒さ」という強い
言葉を提示したのなら、それを打ち消すのは「虹」のような
手垢のついた綺麗すぎる象徴ではなく、もっと生々しくて作
者にしか見えていない「何か」ではなかったのではないか。
きつい言い方になりますが小中学生のお遊戯ならこれでいい
です。きれいきれいだから。
冒頭の「焦燥感」から、わずか数行で「虹が出る」まで到達
してしまって、このあいだのいわゆる「余白」が読者に
想像をゆだねる詩歌独特の技法であるとしても、この詩の場
合は「余白」ではなく「逃亡」です。詩の余白という逃げで、
適当にその場をつくろっているだけです。
とはいえ何に悩み、誰に腹を立てたのか、その具体的な「事
情」には興味があるわけじゃない。そこを埋めてほしいのは
解決に至るまでの「精神の震え」や「手触り」です。作者は
詩情を「余白」に置いているのかもしれませんが、ここを飛
ばしてしまうと、
前半の「焦燥」と後半の「肯定」が、論理的にも情緒的にも
接続されない独立したパーツになってしまいます。それでは、
一つの「詩」という有機体になり得ません。「ここは読者に
想像させよう」という言葉は、書き手にとって非常に甘美な
誘惑だけどそれは麻薬のようなもので、この投稿者に限らず
ネット詩投稿者の多くは、
すべて、きれいきれいなお遊戯にしてしまう危険性をはらん
でいるのじゃないかな。
「説明するのが難しいから」
「プライバシーに触れるから」
「うまく言葉が見つからないから」
こうした「書き手の都合」で言葉を省略したとき、それは芸術
的な余白ではなく、単なる「描写の放棄」になります。読者は、
作者がサボった穴を埋めてくれるほど暇ではありません。
余白を作るには「書かないこと」を決める前に「徹底的に具体
的に書くこと」が必要でしょ。そこから氷山の一角のことばを
選択する。
たった一行でもその言葉をつくりだされていれば、前と後ろを
つなぐことができた。そういう過程がこの詩にはまったく感じ
られないから小中学生のきれいきれなお遊戯だとしか見えなか
ったのです。
これにイイネした方々もそういうお遊戯から卒業して下さいね。
あひっ。


後記;タイトルだけは詩的な多様性多義性を示しており、なか
なか、おもしろいとおもいました。あひっ。


散文(批評随筆小説等) 凄いぞTOP10『はらぐろくも むなしくもない』るるりら Copyright 室町 礼 2026-02-02 05:59:55
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