河童伝・第六話「見返す水」
板谷みきょう

その年、川は何事もなかったかのように、穏やかでございました。

氾濫もしない。渇きもしない。
人の都合に、ちょうどよい顔をして流れていたのです。

村人たちは、胸をなで下ろしました。

……もう、大丈夫だ。

けれど、安心は、気づかぬうちに目を鈍らせます。

川辺に立つと、水面は必ず、人の顔を映しました。

老いも若きも、泣き顔も笑い顔も。

誰一人として、水の向こうを見ようとはしませんでした。

あの子だけが、違いました。

あの子は、水を覗くとき、決して自分の顔を探さなかった。

映らぬものを見るように、
そこに“映っていない理由”を、静かに待っていたのです。

ある朝、川の底から、泡が一つ、二つ、上がりました。

音はなく、知らせもない。

ただ、水が、水自身の深さを思い出しただけでした。

婆さまは、その様子を見て、ぽつりと言いました。

「……来るな。」

何が、と問われ、婆さまは首を振りました。

「来るのは、あっちじゃねぇ。」

「見に行くのは、こっちだ。」

その夜、村の集会所に、人が集まりました。

川が落ち着いた今こそ、
この話を“きれいに”語り直そうという相談でございます。

三郎は尊い犠牲だった。

河童は村を救った。

だから、この土地は恵まれた。

そう語れば、
子どもにも、外から来る者にも、分かりやすい。

あの子は、その輪の端で、黙って聞いていました。

そして、静かに言ったのです。

「それ、全部、人の顔だよ。」

場が凍りました。

誰かが笑い、誰かが咳払いをし、
誰かが怒りかけて、言葉を飲み込みました。

あの子は続けます。

「水は、何も言ってない。」

「助けるとも、罰するとも、望むとも。」

「ただ、そこに在っただけだよ。」

その瞬間、
集会所の外で、
水音がしました。

ぴちゃり。

一歩、踏み出す音。

誰もが、息を呑みました。

扉を開けると、
川は、いつもと同じ顔で流れていました。

……ただし。

水面には、誰の顔も映っていなかったのです。

空も、星も、村も、人も。

映らない。

あるのは、深さだけ。

人々は、初めて知りました。

水は、見るためのものではない。

映すためのものでもない。

“人が勝手に意味を映し込んでいただけ”なのだと。

怖れはありませんでした。

怒りも、裁きも、ありませんでした。

ただ、

……理解されなくても、在り続けるものの、静けさがあった。

あの子は、川に一礼しました。

名を呼ばず、願わず、意味も与えず。

その仕草は、初めて川を“使わなかった”人の姿でした。

やがて、水面に、小さな揺らぎが戻ります。

空が映り、雲が流れ、村の灯が、ぼんやりと映りました。

それで十分でした。

川は、見返すことをやめたのです。

あるいは、“見返す必要がなくなった”のかもしれません。

その後、河童の話は、少しずつ語られなくなりました。

神にも、妖怪にも、教訓にもならず、ただの昔話として。

けれど、あの子は知っています。

水は、今も見ている。

人を裁くためではなく、
人が、自分自身を見るかどうかを、待ちながら。

だから川は今日も、
何事もなかったかのように、
静かに流れているのでございます。


散文(批評随筆小説等) 河童伝・第六話「見返す水」 Copyright 板谷みきょう 2026-01-27 15:32:09
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