自尊心の構造
室町 礼

人はだれか他人を内心小馬鹿にしたとき、その者にや
さしくなれる。そして人はまた、その小馬鹿にしてい
た相手が意外に利口であったことに気づくと、そのや
さしさのフリをかなぐり捨てて憎悪すら感じるものだ。
という人間観はひねくれているかもしれないけれども、
人の心理として大いに考えられるものだと思う。もち
ろん多くの人はそうではないだろうけど、その事実か
ら目をそむけて一笑に付するのではなく、真面目に向
かい会わなければならないこともあるのじゃないだろ
うか。とくに詩がやりとりされる現場においては、盆
栽や茶碗やお花がやりとりされる現場と違って自尊心
の葛藤が甚だしく感じられるからなんですが。
わたしはお寺で育ち60年近く仏教を勉強してきたし、
そのお寺に寄付された、当時は富裕層でもなかなか手
に入らなかった白黒テレビを観ることができて、深夜
の欧米映画(モノクロ映像だった!)をみて育った。
そのせいで映画の世界に魅了され多少なり長い年月関
わってきた。しかしわたしは誰かさんみたいに仏教が
ぁーと振り回したことは一度もない。映画や映像論を
語ったこともない。ある程度深堀りしていくとそのこ
とを振り回すことが倫理的に恥ずかしくなるからだ。
というのも多くの方が経験しているだろうけど、ある
特定の学問に打ち込むと、打ち込めば打ち込むほど自
分が如何に無知か、如何に何もわかっていないか思い
知らされるからです。だから専門分野については最後
には何もいえなくなる。ちょっと仏教書や聖書を齧っ
ただけで誰かさんみたいに愛だの真実だの仏陀だのと
振り回す姿を見せられると、こちらが、穴があったら
入りたくなるほど恥ずかしくなる。
あまり酷いと、ついつい「それは違いますよ」とその
人物にたまらず声をあてる。すると相手はまさか仏
教なんか知らないはずの阿呆が声を上げたことに慄然
として必至に反論してくる。その見苦しい論理や姿っ
たらありゃあしないのだけど、本人にはその見苦しい
姿が見えていない。当然、余裕のある分だけわたしの
方が、ほぼ片手間のように軽く相手にしても、その
「偉大な精神性を持っている」と自覚しているはずの
人物の仏教的知識や愛や真実などの哲学思想を埃のよ
うにつたないものとして一蹴してしまうナニかをわた
しは知らずに持ってしまっている。わたしに歯が立た
ないことを思い知る。そうすると注意された相手はど
ういうスタンスを取るかというと、わたしの言うこと
にはいっさい耳を傾けないで、つまり理解することを
拒否して、自分の主義主張だけを一方的に披露して終
わりにしてしまう。
種明かしすると、これは黒髪さんとビーレビで親鸞論
のようなものを論争?したときに感じたものです。親
鸞についての知識も学もないのに、大家のようなふり
をしてわたしに論争?を挑んできた黒髪さんも大した
ものですが、阿呆だと思わせていたわたしの姿勢を見
誤ったその愚かさには顎が外れるほど驚きました。
それは映画や映像にしてもそうで、わたしはかなり映
画の世界に長く首を突っ込んできた。知識も理論も少
しばかり独自に研鑽してきた。しかしそんなことを自
慢たらしく語ったことはない。でも映画論や映像論の
ようなものを語ると、わたしを阿呆だと思って、その
振る舞いを寛容に許しているようなふりをしていた人
物が怒り出す。最後まで聞かないで「●●話法」だの
「◯◯論法」といって、外から揶揄する。こういう
「話法」論法を振り回すことこそが阿呆の証明である
ことが自覚できないことに笑いを禁じ得ないのですが。
バカにしていた相手を寛容に扱うことができても、歯
を剥いたとたんに飼い犬に手を噛まれたといって一転
するのが人間の自尊心の厄介なところとはいえ、あま
りに浅ましい。残念ながら盆栽や陶芸やお華の寄り合
いとは違って詩歌の寄り合いにはそういう愚劣な人間
がうじゃうじゃと集まっている。それは盆栽陶芸お華
などと違って詩歌がどうしても作り手の自尊心に関わ
るところがあるからであって、それが詩歌の周辺世界
を泥まみれにしているのだと思われる。
もし人が自分自身の価値を、誰かを見下すことではな
く、あるいは見上げることにではなく、自分自身の内
面や達成に見出していれば、相手がバカであろうと利
口であろうと、立場が違おうと、その態度は一定に保
たれるはずです。 ところが盆栽陶芸お華などと違って
詩歌はなぜかそこに定住することを許さない。自尊心。
別のことばでいえば自分の価値を他者の評価に求める
ところが詩歌にはある。イイネのような愚劣で、でも
、とっても甘い御駄賃を求めて今日も誰を見下そうか、
誰を見上げようかと必至になっている人々。路傍をさ
まよって地面を探している野良犬のほうがよほどいい。
あっ。本題は自尊心の構造でしたね。
誰かさんみたいに、例えばもっともらしく 自尊心の
二大要素(ブランデンの理論)をここにコピペしても
つまらないでしょう。わたしはつまらないな。
自己効力感 (Self-efficacy) だの自己尊厳 (Self-
respect) だのと書いてさもそれらしく論じたところ
で少しも面白くない。
わたしは自尊のかけらもない男だから、そんな理論は
わたしには何の役にも立たないからね。ペッ。


散文(批評随筆小説等) 自尊心の構造 Copyright 室町 礼 2026-01-26 07:23:53
notebook Home