スローイング婆と食パンをついばむバードたち
菊西 夕座
素浪人といえば古めかしいかもしれないが、素老婆はそんなことを気にするそぶりなど微塵もみせず、沼のほとりにサンダル履きでつかつかやってくると、柵越しに傾斜をへだてた水面にむかって、ほっそりした粗末な腕をちからいっぱい振りあげて、細かくひきちぎった絶縁状の残骸よろしく、きったならしいパン屑をこれでもかとばらまきはじめた。木柵の下には掃除機のホースみたいな首をのばした白鳥と、黄色いくちばしをしたプリケツのカモが群れをなし、競うように水面をせわしくすべりながら、青鈍色の水にちらばった白い餌をついばみはじめた。二十羽ほどの迷える水鳥たちは、三方を雑木林にかこまれた沼で、飢えと無為をしのげる絶好の機会とばかり、ブロックの張られた地上すれすれ、まるで超えてはならない境界線にふれるのをためらうようにしつつ、おさえきれない興奮をたかめて餌をさかんにくちばしからすいこんでいた。こぎたない身なりをした素老婆のほうは、ニンニク臭をかすかに漂わせ、師走ものりわずかな年の瀬ながら、春の到来をおもわせるつかのまの高温にめぐまれて、着ふるした肌着しかまとわなくってもちっともかまわないという自然権を盾に、正午をまえにしてはやくも独りぼっちの狂熱を発散しはじめた。白鳥が餌にありつける狂喜をおさえきれずに胸をはって身もだえし、その威圧感の下でちょろちょろしながらカモが隙をついて餌をくすね具ァ具ァわめきちらすたびに、素老婆はみずからが迷える水鳥たちをみちびきコントロールしていることに優越感をおぼえ、ますます勢いをえて朝っぱらから流し台で粉砕してきた食パンを太陽にむかって投てきするのだった。もちろん冬の太陽は、いくら日差しが夏場にくらべて衰えたとはいえ、こんな発泡スチロールのカスみたいな餌をうけとる気は毛頭ないので、素浪婆のはた迷惑な存在ごと無視するわけであるが、そうなると行き場をうしなった細切れたちは、ちからない雨となって沼のほとりにむなしくちらばるしかなかった。だが却って冬の太陽にみはなされるという不遇が、浮かぶ瀬のない地上におちては真珠さながらの泡粒となり、それが風にふかれてブロックの張られたちいさな斜面から青鈍色の沼にまで弱々しくころがると、沈むどころか安らかに浮かぶ純白なオフェーリアの肉片よろしく、水面をやさしくなぞる可憐な詩行のようにたゆたって、掃除機のホースそっくりな白鳥の首に回収されていく。あるいはプリケツのカモが叶わなかったプリンセスの夢をその楕円形の体内にひきうけて具ァ具ァと合唱につつみこむ。泡からうまれ泡へとかえって飛散する純白の肉片が、ときどき満足のうなり声を張りあげる羽根のはえた白い掃除機にすいこまれ、こやみなく動きまわるカモ・フラージュした黄色い船首の足こぎ式清掃船にすくわれていく。それをみて素浪婆はさらに水面を派手に汚すべく、くす玉からふりそそぐ紙吹雪のようにパン屑を遠投し、食パンが発泡状になってちらばればちらばるほど、吸引ホースが大歓迎のうなりをあげ、足こぎ式が無我夢中で廻船し、沼のほとりにざわめきが走り、野次馬の乳母車にひかれた幼児が木柵にすえつけられて奇っ怪なわらい声を号砲すると、さらに気をよくしたスローイング魔がますます図にのってパン屑をちらかし、白鳥がいっそう境界線にちかよって首をのばし、数匹のカモはすでに一線をこえて傾斜面におどりあがりバードへと鳥訳する。死肉をあさる黒いカラスまでもが次々に飛来してオフェーリアを横どりしていき、幼児がいっそう悪魔めいて下卑たわらいを甲高くしていき、いよいよたかまる昂奮をおさえきれなくなって腕をふりあげる角度が80度ちかくに上がってくると、ニンニク臭にまじって加齢の汗まで噴きあがりはじめ、収集のつかなくなったもろいパン屑と狂喜、黒と白の入り乱れた騒擾の羽ばたき、具ァ具ァという叫喚といっさいを嘲笑うダミアンのだみ声、絶縁をつきつけながらも陽気さをます太陽と、疲労困憊で腕をふりあげても水辺まで飛ばなくなった白い残骸、ついには底をつきはじめて細かい粒状になりすぎてしまった粉屑、しだいに怖くなって遠巻きに不審の視線をあびせるやじ馬たち、それでもまだよれよれのビニール袋に手をつっこんで狂熱の残りカスをつかもうとするしおれた五本の硬い指、しまいには素浪婆の腐りかけた肉片でもよいからもっとよこせとせがみはじめるバードたちと、それに応えて婆からバードへ転じようとするほかになんの生きがいもない干あがりの岸辺、もはや一線をこえた以上はバードから婆になってでも最後の一粒まですいあげようと躍起になる浮遊者たち、肩がはずれてこわれた遮断器のバーみたいにたれさがる腕の婆と、護岸ブロックよりうえの枯れ芝まで前線をのばしてカァカァ具ァ具ァつつきまわるバアード、もう片方の腕だけで万歳でもしようとのびあがるバアド、水面からホースのような首だけをヘビのように這わせておかの屑をたいらげようとするバアド、もはやどちらがバアーでどちらがバアードなのかわからないままに水辺へとひきずりこまれていく野次うバード、その迷えるウ馬ードらの毛をむしりとって天へとのぼるための羽をこねあげようとするバードたち、すっかり水垢のこびりついた流し台のくぼみで背をまるめながら一心不乱に肩からはえた姥をひきちぎりあうクチバァシたち・・・・・・・
――真に生ける存在となるためには、とことん沼りこんで池つきるところまで身を粉にして打ちこまなければなない――と、冬空よりも澄みきった混沌の、記憶にはりつく木婆微塵がそう語っている。