きみのことがだいすき
百富

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 目のまえからきえちゃえ、そんな想いのしあわせなんて、なければいい。まっくらで暗い暗いいいながらも、電気もつけずにひとりきり泣いているみたいだね。



 ぼくは生まれついて、いないセカイがみえる。けんかをしなかった友人は、ほとんどいない。



 ぼくのことがきらいなひとのお名前を想いだせないことでも相手を傷つけているのだろうか。



 目のまえにいるひとがドアーからでてゆくことで、かれらはコクピットに乗っていったのだろうと感じる。



 送信されたメッセージは、いく光年離れているのだろう、もう二度とお逢いできないのかな、不安になってばかりいた。



 いま、繋がりは目にみえないことを知ることができる。からだはみえなくとも、われわれは確かに原子であること。受精せずとも本日に生まれる命のありかたや輪廻といわず、いまを楽しむための勇気。



 かたちへのこだわりって、光りのほうにこそあるのではないかな。いないセカイにみえるものを闇というのならば、そちらにだって、泣いている子どもがいるはずだよ。



 闇のことをわるくいうのは、もうやめよう。誰とだって、わかりあえる。わらいあうことで、絡みついた糸のほどける瞬間を何度も経験してきた。



 それは言葉でもいい。光りの矢をはなつくらいの勢いで、きらいもすきもだいすきも、お伝えしたいひとへと向けたメッセージでなくては、想うのです。



 ぼくのことをきらいなひとがすきだ。ぼくのことがすきなひとも、いまはすきだ(!).



 想いの連鎖に檻のような雨はいらない。はいれない(ような)場所から、なにかいっている(ような)こと、必要だと想えないから。



 誰とでもお友だちになれること、幻想ぢゃないだろう。お子さまみたいに泣いちゃえないくらいの哀しみないだろう。



 光りのごはんを食べようよ。闇のなかの子どもたち、きっと、おなかが空いちゃっているだけだよ。



 きみのことがだいすきなはずさ!

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散文(批評随筆小説等) きみのことがだいすき Copyright 百富 2025-12-26 20:00:16
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