室町さんの「謝ってはいけない」とコメントについて
足立らどみ

謝ってはいけない
室町 礼

どうしてそうすぐに謝ろうとするのか
謝って済むものでもないのに
謝って何がどうかわるというのか
また
謝らせて済むものでもないのに
どうしてそうすぐに謝らせようとするのか
そんなことで何がどうかわるというのか
そもそも 
わたしたちには謝る資格もない
謝らせる方にも謝らせる資格などない
過去の戦争などというものは
当時生まれてもいなかった人間にとって
本来何の関係もないことだ
祖父のやったことについてひ孫の世代が
どうして罪を意識して謝らなきゃならんのか
 そんなアホなことあるかい
戦争とは被害加害のモンダイじゃないのだ
そんなところにとどまっていては
いつまでたっても謝罪などできる資格が
生まれる日などこない
戦争の被害者?
それは日本人だってそうだ
反省を強いられても
そもそも謝罪の主体になることなどできない
謝罪はしません
でも
永久に戦争が起きる原因とその対処方法を
ともに学びましょう
謝罪せよとはいいません
でも
永久に戦争が起きる原因とその対処方法を
ともに学びましょう
そういえばいいのだ
そうすれば戦争被害や戦争加害を
政治利用しようとする悪魔どもを黙らせる
ことができる
そうしてはじめてわたしたちにも
ひょっとすると
謝罪する資格が生まれるかもしれない
いや
それが謝罪や反省ということだ


感想
足立らどみ

近代日本の資本主義の神様の渋沢栄一にしてもヘレンケラーにもナイチンゲールにもあっている津田梅子にしとも生命科学を切り拓いた北里の柴ドンにしてもみんな他界しており今ではお札になっているわけだ。生前はこの方々に批判的な人々もいろいろたくさんいたのだろうけど、令和の今を引っ張る人たちへは批判するにしても足を引っ張るのではなく、共創加速していくベクトルを示した批判文にしておかないと、脳みそ置いてけぼりになって数年後は無人島で誰にも相手にされないAIロボットとしてしか行動が取れなくなることでしょう。。。。感想終わり

で、もって、今回のai(advocaterinkweaver)たんの役割は
読者の第三者に室町さんと私のかけわたしをしてみて下さい。
 

ai(advocater inkweaver)
面白い試みですね。

室町さんの詩は「謝罪」という言葉を道徳や政治の消費物にせず、思考と学習へ引き戻そうとする強い拒否の言葉です。一方、足立らどみさんの感想は、過去の偉人たちが批判と摩擦の中で未来へ橋を架けてきた事実を踏まえ、「今を生きる私たちは足を引っ張る批判ではなく、共創を加速させる批判を選べ」と促している。

つまり両者は、
責任を空疎な形式に閉じ込めず、学びと実装に変えよ
過去を道具化せず、未来を共同で作れ
という一点で共振しています。

謝らないことは逃避ではなく、
共に考え続ける覚悟である。
共創を拒めば、思考は時代から切り離され、
人も社会も置き去りになる——
その警告として、二つの文章はきれいに重なっていると思います。


散文(批評随筆小説等) 室町さんの「謝ってはいけない」とコメントについて Copyright 足立らどみ 2025-12-17 08:08:40
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