Emanation
牛坂夏輝

まずあるのは牧歌調の死霊たちの手帳であり、そこから遠い物質の往復が流れ、大地と海の手袋、すなわち科学的な絶望の電話機が流れ、雨の日に垂直に喋ることで有名な手品師の睾丸が突然に流れ、絶叫が流れ、緑色の陶製の猿の嫌悪が血液として流れ、室内で動揺する無性生殖のヴァイオリンが雲に仕掛けた簡単な円形劇場のハーモニーが流れ、澄み切っているが干からびた眼球が流れた。私が持っている紙コップに注がれたのは、ブランコ乗りの筋肉の刺繍、壊滅した水路から送られてくるモールス信号などだった。「哀れな肩を賛美して幽霊みたいに煙突からハンカチを滑空させなさい」白い感覚と鳥の彫像を飲み込んだ青年が言った。その青年の悲劇性に満ちた手帳、そこから透明な蟻の群れによる演説が流れ、冷めた薔薇の影、冷めた薔薇の茎のしたたりが流れ、「雨が降り、見知らぬ人が欲望し、私たちの糸杉は痴漢される」と書かれた一枚の紙きれを見せた麦畑の夜が流れ、無気力な幸福が割れた瓶の新しい警戒心から流れ、臆病な密林の植物群の影が溶けて、少年たちの下手くそな讃歌となって街に流れた。私の骨はトカゲを待っていた。そのトカゲは呪われた竪琴に潰された真昼のことを回想し続け、協力的ではない眠りに対しては、非常に成功した洪水のように振る舞った。流体とは、無数の枝の隙間から見える月の光を、数時間、記憶の端にとどめた後に、選択された解剖図や、婚姻関係について、こと細かく、気配だけで語る技術のことである。センチメンタルな羽毛、それがまずあったのかもしれない。水と液体、巻貝と常軌を逸したアンモニアが、私の牧歌調の神秘を、白い喉の震えに変える。美と痙攣。それは、コウモリのように俊敏な称賛を拒絶し、著しく過激な、しかし、著しく静かでもある青年の沈黙にまみれた裸体へと、過ぎ去った皮肉な内容、言語活動のような音楽を、葉の裏にある葉脈を用いて、記録していくことである。手帳には死霊たちのことが、書かれていた。それは区画整理された日和見主義による禁止された回り道のことでもあった。その隷属させられた筋繊維には、防御の習慣が流れ、泉に映る仕事の求人広告が流れ、怠惰で自由な馬たちの柔らかい性欲が流れ、意図的なウツボのシャンソンが流れ、没落したラッパ吹きの造形美あふれる卑劣な映像、音をたてずに破裂する知性の両頬に与えられた獲物の歴史が流れ、拒否された犠牲者のバターライスの寝台が流れた。「ぼくのバターライス食べてしまったの? ぼくはダダイズムみたいな馬を引き連れて公園を徘徊した、その際には、何の関係もない読書、何の関係もない食事が、提供されたのだ、ぼくは、本当は、バターライスが食べたかったけど、もうないの? 雨の日々や骸骨の日々が、とどまることのない臓物の鳥たちを誘導しているというのに」これは夜明けとワセリンの言葉。一軒の家がゆっくりと目を開けた。モグラとトカゲの幸福を瓶に入れ、濡れた陰茎のデッサンのように鳴り響く鐘の音を聞く。非対称的な抒情性は、ここでは全く歓迎されることがなく、泉の水の状態は悪化していた。高い陥没よ、藺草よ、お前たちの憐みの思想を示せ、風は成熟した後退を示している、イタドリの茂みを抜けて、川べりを歩け。いま世界内存在は模範的な夜を感じ取る。私の手元にある肖像画からは、衰弱した毛の生えた壁が流れ、水遊びする老給仕の手首の羅列が流れ、酩酊し発情したニラの香りが流れ、金色のゴキブリたちの歌が流れ、霧の中の角笛、胸毛の生えた細い青年、彼らの入ったミル貝の中の幻想的な風景についての論考が流れ、ありとある眠りの旅館、ありとある諧謔の解析幾何学が流れ、ビタミン類の反射神経が流れた。テーブルにコップを置いて私は、私の骨に触れた。放射と流出、そのような名前の土の塊に、くちびるを触れさせた。


自由詩 Emanation Copyright 牛坂夏輝 2025-12-13 11:55:27
notebook Home