紙と、それを束ねた本という存在について
水町綜助
いまどき紙ですか
そんな言葉と共に時代遅れなものと時に言われる紙
そしてそれを束ねた本というもの
(これは、本というフォーマットに特別な意味を持たせようというためにつづるわけではなく
その存在について少し考えてみただけのもの)
たとえばツイッター
そこに少ない文字で書かれた心に残る言葉と文があったとして、
それをわすれまいと、またいつか読み返そうと、
またいつかくるかもしれない笑顔もつくれないクソなとある日のために
栞のように何かの印をタップするとして
それをまた紐解くことを私はしたことがない
栞を挟んだことさえもわすれてしまう
それは、事実栞を挟んではいないからであり
当たり前に挟む対象もないからで
紙と本はその立方体としての長さ、体積、質量としてそこにあるがため、
いつかわすれてしまったときにも、そこにあるがために、
たとえばつまづいて部屋の中に崩れた物たちの中に、あの時の言葉、が綴られた一冊を見つけたりもする
繰り返してしまうけど、
これは紙と本というものを、何か事実以上の存在として崇めることでも、特別なものとしてきらきらした目で認識することでもなく、暮らしの糧として紙と本を日々作る日常の中で気づいた、単なる事実として書いてみる
データの世界の中に。笑