小さなメモふたつ
由比良 倖
1
僕の大好きなピアニストであるグレン・グールドのリズムは、僕を瞑想に誘うし、彼が見ているのは、この世の先の空の光であり、宇宙だという気がする。アニー・フィッシャーは割に好きで、彼女はコンサートホールに森そのものを持ち込んでくれるピアニストだ。彼女の森を、そのまま体験してみたかったな、と思う。
森と言えば、やっぱりニック・ドレイクを聴いていても、彼の音楽が僕の心に持ち運んできてくれるのは、森の情景だという気がする。何故か海じゃないし、山でも砂漠でもない。ニックは森の人だと思う。彼はいつでも木陰でギターを爪弾き、森の声で歌うミュージシャンだ。僕はいつでもニックの森で彷徨える。彼の窓からはいつも優しい森が見えていたのだと思う。森の生気を呼吸して、感動に満ち足りつつも、とても冷静になって、何ひとつ壊したくない手付きとまなざしで、どこまでも静かに弾き語っていた人だと思う。ちなみに彼が使っていたギターは誰も知らなくて、僕は彼が森の中でたまたま見付けた、誰も見たことのないギターだと、半分くらいは本気で思っている。
ところで僕が一番好きなニックのアルバムは三枚目にしてラストアルバムの『ピンク・ムーン』で、そこでは彼は暗い森の奥にどんどん去って行く。僕は彼の本当の行く先をいまだ知らずにいて、ニックの道筋を、その小さな道を正確に辿れたなら、僕はミュージシャンになれると思う。小さな可能性だけれど。そして僕はまだ、ニックが手に入れた秘密のギターに触れたことがないし、それを見たことすらないのだけど。
2
夕陽の前に立つと卑屈になります。だって私は記号しか見ていないから。夕陽だって「夕陽」という記号で、私はもう夕陽そのものにはなれないし、夕陽に当たる私の体温は冷たく、冷や汗に覆われて、私はぎゅっと目を瞑るしかなくなります。
隣に人がいれば私は笑っています。「元気」という顔を私はしますが、それは顔色だけです。あなたの顔色をうかがう私だけです。
ヘッドホンを付けています。ヘッドホンの中は、私の家だという感じがします。家があるだけ私はましです。スピーカーで音を浴びるのも好きです。ヘッドホンを付けて安らいでいられるのは申し訳ないくらいです。雑音がお似合いな私ですから。私はキーを叩いていますが、私は消えるのが怖いのでしょうか? それとも消えたい気もします。快感を駆け上るのか虚無へと下るのか分からない。(傷口は、空への唯一の道だと思うのですが、それも怖いのでしょうか? 死は、私の唯一の自由かもしれません。)
いろんな物事があって拡散していくような私ですが、本当は囚われていて、私の望む拡散とは掛け替えのない白昼夢のようなものです。白い、昼の、夢。Apple Musicとか要らないなあ、と思うのですが、要らない以上に忘れたい。忘れるつもりでぱちぱち書いて、泣けないくせに、涙ばかりを眼の裏に溜めて、プラスチック越しの世界を、みんな笑うつもりで見ています。身体が皮膚から溶けて、肉が骨から離れていって、溶けて溶けて、私との境目が無い世界を一度は見たい。そして何ものにも、まなざしによって境界を付けない世界を。
母が一階で味噌汁を煮る生活の匂いがします。救命装置が欲しいです。ドアの前に浮き輪があって、ドアの外には海があって、深海へと下りて行けたら。カーテンから陽が漏れてきて、顔の左側だけ火照ってきて、そんなことからも私が煩わしい存在であり、非在ではないことを思います。けれど来年には死ねるでしょうか、とかもう抱負を考えて、……って、まあ暗いですね。夕焼けを食べたいような気分です。
書けない時間が、砂っぽい匂いとなって、心に染み付いていきます。優しさのリミットが外れて、今日は人が好きで、好きで、人に憎まれたいほどです。