狐の見た幻
板谷みきょう

虹の欠片をあぶくの妖精から授かった少年の胸には、小さな幸福の光がひそやかに灯っていました。


その光は、波間にささやかに揺れ、海辺の生きものたちにも静かに届いていたのです。
狐は、その輝きをひと目見ただけで、胸の奥が痛むほど羨ましく思いました。


「自分も、あの光を手にしたい……」
狐は少年に化け、同じようにあぶくの妖精から虹の欠片をもらおうと海辺へ向かいました。


しかし、化けていることは、海の清らかな流れに、そっと知られてしまったかのようでした。


冷たい波に引きずり込まれ、もがく狐の小さな影は、やがて抱かれるように静かに沈んでいきました。
そのとき、水底から人魚が昇り、狐を抱き上げました。


人魚の心は世の汚れを知らぬ無垢そのもので、目の前の姿を、純粋な憧れを抱くまことの少年だと信じて疑いません。


人魚は狐をそっと夕陽の渚へ運び、静かに目覚めるのを待っていました。
潮がゆっくりと引いた頃、狐の目がわずかに開きました。


傍らに座す人魚の姿は、あまりにも清く、美しく、手の届かぬ憧れそのものでした。
狐は、自分がまだ少年の姿であることに、胸が張り裂けそうな安堵を覚えます。


しかし、やわらかな人魚の眼差しに見つめられ、言葉にならない痛みが胸ににじみます。


偽りの皮を被っているにもかかわらず、この人魚に対して、初めて知る真実の恋を抱いてしまったのです。
「あなたも、たいせつな人の幸せを願って来られたのでしょう。」
人魚のその言葉は、狐の胸を静かに打ちました。


偽りであることを告げれば、人魚の優しさと夢を、一瞬で汚してしまう。


狐は真実の残酷さから人魚を守るため、恋の終わりという、深く静かな犠牲を受け入れました。
狐は何も語らず、人魚の手にそっと手を重ねました。


その指先に込めた想いは、確かに人魚の心に届いたのでした。
夜が深まり、静かな渚には、冷たい狐の体が横たわるばかりです。


人魚は狐の体を抱き、やわらかく囁きました。
「あなたの探し求めた幸福は、もう、あなたの胸の中にありますよ。」
その声が響くと、偽りの姿を保っていた最後の力が尽き、少年のかたちは音もなく崩れ、小さな狐の体が残されました。


人魚はその真実を見つめながらも責めず、静かに抱きしめました。
「さようなら、哀れで、いとしい人。あなたの夢は、わたくしが海の底で、そっと守りましょう。」
人魚は、偽りの中で生まれた真実の恋と、狐の孤独のすべてを胸に抱き、ゆっくりと海へ沈んでいきました。
朝が来る頃、渚には、ひっそりと眠る一匹の狐が残されていました。


海だけが、その秘密を知っているのでありました。


※原作「狐と人魚」を修正しました
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=136438


散文(批評随筆小説等) 狐の見た幻 Copyright 板谷みきょう 2025-11-24 00:12:33
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