ぼくの浄化の証し
百(ももと読みます)
こころの傷で息をしている。幼さへと深くすごもりしているようだ。おもむろに導火線を引っぱっても、すこんとぬけたさきにある景色は地続きの宇宙だったりする。
柔らかい銀河にゆっくりとふれながらお眠りする。性別なんてなければいいのだ。
おっぱいにふれてみたいと想った。そばにあるおっぱいをさわってみてもリンパ腺の刺激となるだけで、感動しない。
からっぽの宇宙の外側で息している。ぼくの性がこんなで、さきに飛びだしたかれらのものにも哀愁があるのだろうか。恋人の身体をみて、宇宙人だねって、いわないように考えなくさせていた、この夏のぼくは「自分」を。
衣服を脱がないぼくのことなどお構いなしにぼくをずだぶくろのように放りだしていた。いたわることで悔しがる、かならずお好みに戯れていた。
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高校へゆかないまま、退学届で待ちぶせた、ぼくの聖なる奥の病み。グノーシス主義に傾倒していた、最もゆきたい天国は、ぼくの浄化の証し(シ)です。
穢れるものなら、生まれてすでに泪で濡れた頬なのよ。それでも、おかあさんは歓んでくれた。生まれてありがとうというよりも、どこか、おかえりっていっていたような気がする。
咽び泣きのお命ですから、お祈り捧げて生きてゆきます。稀にみる純潔なんでヘビーなんです、ぼくの闇。暗やみにとまった鳩のことなど知らないで、やたらに感じやすいことをセンチメンタルだというわけです。
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おかあさんはおっぱいだった。ぼくもおっぱいになりたいわけぢゃない。誰にも迷惑かけないこと、めざして吐息で駆けぬけるのだ、人生を!
ぼくはひとりで生きなきゃなんない。楽しく生きなきゃなんないの。みんなよければそれでいいっていうレインボーで乾いた主張の波とめて、海をわって、駆けだせ、モーセ!
いっちまえ、ぼくなんて(あゝあゝあゝあゝあゝあゝあゝ〜)!
それでも、生きる機会ですから、生まれて、きて、くれて、ありがとうって、老若男女にいいたいのです。