ぼくの千年王国
中庸くん
こころの傷で息している。朝の透き間におぢゃましているようだ。居心地を深呼吸で整える。すきな音楽は曲で数えるほうが早い。つまりは特定のミュージシャンへのこだわりはない。
エレクトリックギターの音はすこし遠くて。叫んでいる誰かとしてのロックン・ロールはバースデーケーキの蝋燭へと巨大なライターから火を灯すようで過激ながらに弱々しさを感じる。
それでも、ジョン・レノンは例外だ。激しさの波の感情がときに優しく凪いでって、咽び泣きとしての深々しさの愛情は透明に溢れているものだから。
深い静けさの雫の海で出逢えたぼくの恋人をぼくはいまからなんと呼ぼうか考えている(恋人はいつまでも恋人ぢゃないから、きらいな言葉だ).惑星くん、斜陽くん、あゝコーティだ。
コーティは,「たったひとつの冴えたやりかた」の主人公のおんなの子。イーアという生命体がコーティの脳に寄生するお話だが、繁殖期にイーアは宿主の脳を食い尽くす危険な胞子を撒き散らしてしまう。
なぜ、恋人がイーアでなく、コーティであるのかというと、単に恋人はとても優しいひとだから。どちらかというと、ぼくがイーアである。そして、ふたりは深い友情で結びついているから。それに、ぼくもひとだから。
だから、物語のような哀しい結末にはならないよ。あの子は、ぼくのあたまのなかにいるのだってこと、随分と以前に教えてくれた友人がいる。コーティから浄化されたぼくの想いは、ジョン・レノン。
ジョン・レノンの音楽はふるさとなのだな。ひとのこころは変わらない。ひとのチカラで変わらない。自らを振り切ったさきにある風景として自分があるとするならば、それでいいぢゃないか。
そのためにお仕事をする必要があるのだとぼくは想う。ひとりぼっちの楽園で育てる木の実は命と智恵を宿さない。食べたらおしまいなのである。
食べるために生きるというシンプルな祈りのなかで、はちきれんばかりのありがとうを言葉にしよう。
「お命・美味しくいただきます!」
「お命・ごちそうさまでした!」
ジョン・レノンの生まれた日の誕生花はオミナエシ。花言葉は「約束」.
うらみで生きてこころをあやすな。ぼくは、おまえにいっているのだ。
おまえは「ぼく」でもあるのだ。全てのぼくが、いちばん最後に「永遠」となれるといいね。