生き続けるほど運命は奇異なものだとわかる
ホロウ・シカエルボク
もう幾日窓は閉じられたままなのか、もうどれだけ同じ回想と妄想を繰り返したのか、日付はかろうじて把握してはいたが、それが現実として自分の中で機能しているのかどうかについてはまるでわからなかった、思考はゼンマイの具合が悪い玩具みたいになりつつあったし、それと共に視界もなんだかもやがかかったみたいにぼんやりとしていた、どれだけ眠っていないのだろう?それについてはおおよその数字すら出すことが出来なかった、何がきっかけでそんなことになったのかすら思い出せない、質の悪い冗談みたいな現状、ベランダに止まった鳩はカーテンの僅かな隙間から少しの間俺のことを明らかにほんの少しの嫌悪感を持って眺めた後、何処かで気分を変える必要があるというような切迫感を持って飛び去って行った、あんな呑気なだけの生きものにそんなものがあるとは到底思えないけれど、それだけあの鳩にとって俺の存在がイレギュラーなものであるというだけの話かもしれなかった、どうでもいい、鳩は俺にとって有意義な材料を持ち合わせてはいないし、俺の方だってそうだ、もっとも、鳩が求めているのはそんなものじゃなくてただのパンくずとかそういうものだろう、ソファーから起き上がろうとしたけれど横向きに倒れ込んでしまった、食事は?最後に食事をしたのはいつだ?ハムエッグを作って食った記憶がある、あれは何日前のことだ?それともいつかの記憶を最近のことのように感じているだけなのか?自分に起こっているすべての出来事が上手く受け止められなかったし、信用することも出来なかった、きっかけが思い出せない、それさえ思い出せれば立て直せるかもしれないのに、このまま食事を取ることもなくここに横になっていたら餓死してしまうかもしれない、その状態にどれぐらい近いところに居るのだ?さっぱり見当もつかなかったけれど、そう遠くない場所に居るだろうことだけはわかっていた、覆さなければならない、この状況は綺麗に覆されなければならない、でも、どうやって?立ち上がることさえ出来ないのだ、せめてこのくたばりつつある思考をクリアにして、生に留まる為の最善の方法を最速で練り上げなければならなかった、けれどそのためにはまず、くたばりつつある思考をクリアにする方法を明らかにしなければならなかったのだ、要するにそこに縋る意味はなかった、気が抜けて力を抜き、目を閉じた、俺はすべてを諦めたのだ、腕がだらりとソファーの下に落ちた、指先になにかが当たる、拾い上げてみると埃をかぶったブラックコーヒーのショート缶だった、シャツで埃を拭き、迷うことなくプルタブを引いて飲み干した、どうしてそんな缶がそんなところにあったのか、まったく思い出すことが出来なかった、まともなものじゃないかもしれなかった、でもそれをまた放り出すと間違いなくまた死に一歩近づくだろうという確信があった、生温いコーヒーが渇き切った体内を塗り潰しながら胃袋へと落ちていくのを確認してゆっくりと立ち上がり数歩歩いてみた、足取りは確かだった、なんとかなりそうだ、キッチンへ行って水を二杯飲んだ、それでだいぶ頭もまともに機能するようになった、窓を開けて空気を入れ替えた、今初めてきちんと目を覚ましたような気がしていた、冷蔵庫を漁って簡単なものを作って食った、それが自分の身体に溶け込むのを待って掃除をした、埃にまみれた缶コーヒーのことを思い出したのだ、ドアと窓をすべて開けて家中の埃を落とした、それからタオルを濡らしてきつく絞り、あらゆる家具と照明の傘を拭いた、最後に床を拭いて道具を洗って片付け、シャワーを長く浴びた、徐々に湯を熱くして、身体に喝を入れた、我慢出来なくなったところで水に戻し、すっきりとさせて身体を拭き、服を着替えた、学生のころからやっている喝の入れ方だ、実際どれだけの効果があるのかは定かじゃないが、少なくともすっきりすることは出来る、掃除をしている時に今回の混乱のヒントが見つけられるかと期待していたけれど、何も見つけることは出来なかった、どうしてソファーの下に缶コーヒーが落ちていたのかも含めて、すべてが謎のままだった、このまま追及するのか、少し休んでまた考えるのか、それとも風邪を引いたようなものだと片付けてそれまで通りに生きるか決めなければならなかった、でも取りあえず今夜何を食うか決めて準備することから始めようと決めて買物に出掛けることにした、財布とスマホをポケットに入れて靴を履き、玄関の鍵を開けたときに、午後の太陽が優しく俺の目を刺した、太陽の光というのはこんなに明るかったっけ、俺は首を捻りながら外から鍵を掛け、繁華街へと向けて歩いた、野良犬がにやにやと笑いながらずっと俺の顔を見ていた、それが何故かなんて俺にわかるはずもなかった。パンでも持ってれば投げてやったんだけどな、俺はそいつにじゃあなと挨拶をして長い信号を渡った、俺の後ろを歩いていた若い女が強引に左折しようとした車の前輪に巻き込まれて人形のように車道の上で回転した。
 
