ときめき
栗栖真理亜
地下鉄に乗ると心踊ることもある
今私が読んでいる本と同じ本を読む男性が
私が座る席の目の前に立っている
歳の頃は五十代半ばといったところか
白髪混じりの髪を短く刈り上げ
少しヨレヨレの白シャツと紺色のスラックス
途端に湧き出る嬉しさ
読者仲間に突如巡り会えたような
気づかない時は平坦だった日常が
少しだけ華やぐ
「村上春樹がお好きなんですか?」
声を掛けようとして躊躇う
気難しそうに読む姿から
余計にその顔が怪訝そうになりそうで
鞄からハードカバーの本を取り出して
提示してみたい衝動に駆られるのに
それを制止する私もいる
(余計に不審な目で見られるだけだよ)
そのうち男性は向かいの席に座り
終点の駅で降りようとする私の脇をすり抜け
まるで空気のように足早に降り去って行った