助走
たもつ



廊下を渡る足音には
特段目的地がないから
店長は突き当りのエレベーターを
使い捨てに決めた
わたしの相談事にも
丁寧に対応していただき
お昼に買った二個入りの一つを食べずに
後用に残しておくことにした

屋外で割れた砂時計の砂粒は
風がすべてさらっていったらしいよ
そうらしいよ
店長さんはいつも誰かに話すように
わたしに話しかけるので
可哀想な人が誰なのかわからなくなり
やがて可哀想な人は
どこかにいなくなっていく

子供の頃からわたしには
速度が足りないことがある
そういう時は助走をする
両腕を思いっきり振るといいよ、と
真由美さんが収穫祭の日に教えてくれた
自分もそうだから
真由美さんは俯きながら付け加えた
店長さんが隅っこの方から
少しずつお店の拡張をしている
わたしはお手伝いをするために助走する
両腕を思いっきり振りながら
真由美さんの孤独を思う

店長さんが空を指差している
冷たい金属に触れて冷えた指先
その青さの突端に小さなものがあった
あれが春だよ
店長さんが言う
天日干しされた靴の爪先から
ゆっくりと解けていく春
その匂いを嗅ぐと毎年のこと
もう春なのだ



自由詩 助走 Copyright たもつ 2025-10-19 05:24:11
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