Everything's gonna be alright
ホロウ・シカエルボク
透明なものは呼吸を阻むから気を付けた方がいいと昔なにかで読んだ気がする、まさにそんな言葉がしっくりくるような午後だった、夏がようやくため息をつけばエアコンの心地良さが幅を利かせる、一日に一度は真昼間にぐっすりと眠りに落ちてしまう、身体は泳いだ後のような浮ついた重さに絡みつかれていた、様々な欲望の中からどれをセレクトするかというのは昔に比べて随分上手くなった気がするが、睡魔というのは順番待ちを簡単に飛ばしてくるから始末に負えない、でもまあ、それに抗ったところでたいした効果は得られないことは承知しているから大人しく横になって目を瞑る方が話が早いというものだ、数十分眠れば身体も気は済むらしい、昔はこんなにきちんと眠っていなかったような気がする、いや、間違いなく眠っていなかった、眠れなかったという方が正しいかもしれない、明るくなるころにようやく眠るような毎日だった、何か特別悩みを抱えているとか、やらなければならないことがあったというようなわけでもない、むしろ何も無かった、すべてのピントが合わず、バランスを上手く保つことが出来ず、常に瓦礫にまみれては首を横に振っているような毎日、何かしら欲求や欲望というものはあったに違いないけれど、今となってはその時内奥で蠢いていたものがどういった種類のものだったのかということはもうわからない、もしかしたら今と大して変わらないものだったのかもしれない、でも今よりもずっと状態の良くないものであっただろうことはなんとなく想像がつく、あまりいい状態ではなかった、鬱屈の為に生まれて来たのではないかというような日々だった、もうそれが自分のせいだったのか、あるいはもっと他に原因があったのかというようなことはどうでもいい、出来ることなら思い出したくもないし、二度と戻ることもしたくない、もっと上手くやることは出来たのではないかと思うことはあるけれど、後になって思うことが何の役に立つのか、過去のやり方をああだこうだと添削することにどんな意味があるとも思えない、上手く出来なかったのならその教訓はすでにこの身体に染み付いているだろうし、完全に忘れているのならそれは結果がどんなものであれ大して必要なものではなかったということだ、とにかく情報を仕入れては隅っこに追いやる現代の人間たちにはこんな表現は理解出来ないかもしれない、今の流れに乗ることと真実を手にすることは本当はまるで違うものなのだ、新しい船に乗りたがるのは自分が乗るべき船がどれだったのか思い出せないせいだろう、俺は十年前とほとんど変わらない服を着ているし、同じ詩を書いている、でもそれはまったく同じものでは無い、十年目に書かれる詩は、それまでの十年のすべての詩を食らっている、それがつまり成長ということだ、確かな歩みの成果だ、もう自分がどれだけの時間それを続けて来たのかよくわからないが、俺はいつだって自分が一番いい状態にいると感じているし、それが続く限りはやめる理由もないと考えている、言葉を綴ることによって得られる成果というのは曖昧なものだ、おそらく俺が実感している成果というものは俺以外の人間には何の意味も持たないものだろう、もしもそれについて考えてみたところで、どんな答えにも辿り着くことは出来ないだろう、それは俺にしかわからない言語のようなものなのだ、もちろん俺はそれを自分だけのものだと主張する気も無いし、例えば俺がくたばったあとに誰かがこの続きを書いてみたいと言うなら、ご自由にどうぞと差し上げるだろう、詩という表現は放り出されたイマジネーションであり、それ以上でも以下でも在り得ない、偉そうに言わせてもらうなら、それを以上に見せようと考える連中がそれを駄目にしている、そう考えている、つまり、これが君にとってなにかを語っていると感じるのならつまんでみてくれていいということだ、ペットボトルの水を飲み干す、気が付けば渇いている身体に浸透していくのが感じられる、ある程度保証された世界で生きている方が人間は渇くのかもしれない、それはどうしようもない渇きに感じられる、次第に忘れ去られる本能の渇きだ、人はそのうち完全にそれを忘れてしまうだろう、いまやパートナーは要らないだの性別に縛られたくないだのとしたり顔で話し、子供たちは夜の路上で脳の中まで排気ガスに塗れていく、もともと誰も守れない社会がシステムを維持出来なくなって内臓から腐り落ちている、気付けばいいだけのことが出来ない、本能が失われているからだ、俺はため息をつく、こんなことを話しても仕方が無い、まるで意味が無い、でもほんの少しの誰かのきっかけにはなるかもしれない、いや、まあ、そんなことどうでもいいんだけどね、言葉の綾ってやつだ、透明なものは呼吸を阻むから気を付けた方がいい、それはもしかしたら俺が俺であるが故のものかもしれない、でも俺はそれを手放す気はないし、そのことでなにか余計なものを背負いこむのならそれはそれでいい、まあ、なんていうのかな…片っ端からドブに捨てていくみたいな人生だったけれど、それでも何かしら手に入れたものはあったからね。