強い草はどこにでも生える
ホロウ・シカエルボク


例えば心臓がどのように動いているのか実質的に知らなくても人は懸命に生きるだろう、例えば火に触れたことが無くても幼いころからそれに近付いたりは決してしないだろう、例えばあの角に殺人鬼が隠れていたとしてそれを視覚的に認識することがなくても「道を変えた方がいい」と直感的に思うだろう、そのように俺は言葉を紡いでいる、本能や直感、日常の及ばぬところにある物事が昔から好きだった、そこに自分の知るべきことがあると理解していた、いまでならそれはオカルトと呼ばれるような領域かもしれない、でも俺にとってそれは普通のことだった、一言で片づけてしまうなら「霊性」とでもいうべきものだろうか、それは実体を持たぬものであり、だからこそ限界を持っていないように思えた、そして、その認識はいまでもあまり変わってはいない、それはある意味で、俺の真理を捉えた認識だったのだろう、そのまま歳を重ね続けて、いまここに居る、いまは十月で、狂ったように続いた夏がようやく長い息を吐いて居なくなった、やれやれ、ようやく涼しくなるかと思っていたら連日の雨模様だ、我慢出来ないというほどではないが、時々ひどく不愉快な人間が近付いてきたときみたいな気分を呼び起こす湿気に包まれる、窓は閉め切っている、大通りが近いせいで排気ガスまみれになる、古い建物だから、網戸なんていう気の利いたものも設置されてはいない、強い雨が降れば雨は隙間から入り込むのではないか、窓そのものを隠しているからそれを確かめたことはない、思えばそうしたこと一切を気に入らないと喚き続けるみたいな人生だった、余計なことに気を囚われ過ぎていた、もちろん、やるべき時はきちんとしたけれど、そういう時がもっとあっても良かったということだ、若い頃にはあまりにも気分だけで動いてしまう、気が乗らないからしない、ということを純粋さのように語ってしまう、それはただの怠惰だ、どんな理由があるにせよ、ただの怠惰に違いない、出来る、出来ない、という選択肢がそもそも間違っている、出来ることをしなければならない、が正しい、純粋さを盾にやらない時を増やすのは誰に褒められることでもない、出来ない時でも出来るようにならなければ、一生成長というものを手にすることはない、雨が降り始めた、降っていいのかと探るように、囁くように降り始めて、次第に勢いを増していった、天気予報で必ず降ると報じられていても傘を持とうとしない連中が雨宿りできる場所を探している、先月までなら一階が駐車場になっている大きなビルがあったけれど、それはもうシャッターを閉じてしまった、夜以外はいつでも開いていたものがきっちりと閉じられていると、ああほんとになにかが完全に終わってしまったのだという気持ちでいっぱいになる、ブコウスキーのハードカバーを読みながら雨が止むのを待つ、雨が止むまでは動いちゃいけない気がした、きっと、雨の描写をしてしまうことに興味が無かったのだろう、今日の雨は随分と気紛れのようだ、さーっと降り始めたかと思えば気が付くと止んでいる、もう降っていないのかと思って外に出てみると音も無く細く降り続いていたりする、そういう雨は濡れても気にならない、だからたいていの人間が傘を持たずに歩いてしまう、彼らはきっとずぶ濡れになって風邪を引いたときくらいしか後悔というものをしないのだろう、別に天気なんてどんなものでもいいけれど洗濯が出来ないのは困りものだ、汚れ仕事くらいしか出来ることがない俺にとっては面倒な問題だ、数年前に出来たコインランドリーがすぐ近くにあるけれど、週末はウンザリするほど洗濯をしに来る人間でごった返す、冗談抜きでテーマパークに見えて来るくらい、そうすると衣服は綺麗になるけれど心は汚れる、それがわかっているから天気予報と睨めっこしながら雨の降らない日を待つ、雨が止むのを待つ、思えばいつまで経っても止まない雨が止むのを待ち続けているみたいな人生だ、いや、嘆きたいわけじゃない、待ち時間があるってことはその分、考え事に費やす時間もあるってことだからね、大切なのは動くことだけじゃない、動けない時間にどんなことをすればいいのか考えることだ、確信ほど信用に値しないものはない、疑えば疑うほど選択肢は増えていく、増えた選択肢の中から熟考してひとつを選び抜けば、理論的な思考と霊感が同時に鍛えられる、なにかひとつだけが秀でることはあまりいいことではない、自分の持っているすべてを同じように育てることだ、本当はそれこそが成長と呼ばれるべき成果なのだ、ひとつの真理を表現するのにひとつの言葉しか要らないということはない、あらゆる角度からそれは語ることが出来る、語り得るすべての言葉をポケットに入れて歩くべきだ、そうすればその時その時の感覚に最も適した言葉を瞬間的に選び出すことが出来る、近頃じゃ身軽にするのが流行ってるみたいだが、そんなの俺には何の役にも立たない、俺はすべてを持ったまま生きて、そのまま死ぬ、天国か地獄かその後の行く先はわからないけれど、神様か閻魔様が腰を抜かすほどの業を抱えて見せつけてやるさ。


自由詩 強い草はどこにでも生える Copyright ホロウ・シカエルボク 2025-10-05 13:53:33
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