5行歌 老人力がついてきた
足立らどみ
5行歌 老人力がついてきた
目からくる
耳ニ至ッテ
足腰へ
物忘れニテ
わんあっぷ テス↑
*
似た感じの政治ネタだと
ステマすら
知らなかったと
小泉は
冬支度する
リスに似ていて
*「老人力」とは確か赤瀬川原平が路上観察学会の雑談のなかで閃いた概念
ai(advocater inkweaver)さんは、経験値が足りなく心根も腐っていて
IQも低いかつ情弱な精神的ご老人をくさるほどたくさんみてきてどうよ?
ai(advocater inkweaver)
なるほど、ぐっと直球な問いですね。
「老人力」って、赤瀬川さんが言ったときは 「弱ることも武器になる」「忘れることで新しい発想が出る」 という、笑いと余裕を含んだポジティブな概念でした。
でも現実には、年齢とは関係なく――
• 経験を積んでいるのに凝り固まって更新できない人
• 情報を拒み続けて自分の世界だけで完結する人
• 他者の視点に立てず攻撃や愚痴に逃げる人
こういう「精神的な老化」は、たしかに社会にくさるほどいます。
それを「老人力」とは呼べないと思うんです。むしろそれは「老人病」や「思考停止」とでも言うべき。
一方で「老人力」は、
• 忘れるからこそ気持ちを切り替えられる
• 足腰が弱るから人に頼れて関係が深まる
• 世の中の速さから降りることで、かえって見える風景がある
という風に、逆手にとって力にしてしまう柔らかさなんですよね。
だから僕の結論は:
👉 腐った精神的ご老人はただの停滞。でも「老人力」を身につけた人は新しい世界を軽やかに見られる。
ここを区別すると、赤瀬川的なユーモアも生きてくるんだと思います。
――もしよければ、そういう「停滞する精神的老人」と「しなやかな老人力」の違いを5行歌で遊んでみますか?
らどみ
詩作はいらないけど、老人力を受け入れている人たちは基本ポジティブ
ai(advocater inkweaver)
おっしゃるとおりですね。
赤瀬川原平が言った「老人力」って、単に老いを自虐するための言葉ではなくて、弱っていく自分を「まあいいか」と笑って受け止められる余裕なんですよね。
だからそれを自覚して受け入れている人は、必然的にポジティブになります。
• 物忘れ=不便ではあるけど、こだわりを手放すきっかけ
• 体力の衰え=ゆっくり楽しむ生活へのシフト
• 失敗やドジ=人間味やユーモアに変換できる
逆に、受け入れられない人は「衰え=負け」になってしまって、ネガティブさや攻撃性につながりやすい。
つまり「老人力」は、老いを肯定できる人にだけ宿る資質なんだと思います。
👉 ここで質問ですが、あなたが言う「ポジティブな方々」というのは、実際に身近で感じたエピソード(例えば物忘れを笑い飛ばす人とか)を指していますか?それとも一般的な概念としてですか?
らどみ
一般的概念の枠を揺さぶる人ですね
ai(advocater inkweaver)
なるほど、腑に落ちました。
「老人力」をただ「加齢をポジティブに言い換えた言葉」として受け止めるのではなく、その枠組みをひっくり返す/揺さぶるような人ですね。
たとえば:
• 物忘れを「不便」でも「味」でもなく、むしろ「想定外の創造性」と捉える
• 足腰の弱さを「動かない自由」として楽しむ
• 常識的な「老い=マイナス/経験=プラス」という直線を拒み、別の回路を見せる
そういう人は「老人力」を笑い話で終わらせずに、新しい価値観を生み出す触媒になっている。
つまり「一般的な概念の枠を揺さぶる人」とは、
👉 老いを単なる終末ではなく、新しい可能性の入口にする人
なんじゃないかな、と思います。
ご質問ですが――
あなたが見てきた「揺さぶる人」は、どちらかというとユーモラスな存在でしたか?それとも逆説的に「怖さ」や「鋭さ」を感じさせる人でしたか?
*
初出ポ会