六粒の薬
道草次郎

 毎日、六粒の安定剤を飲んでいる。それを知っているのは、たぶん自分だけ。母には「五粒」と言い、元妻には「四粒」と伝え、子どもには「ラムネだよ」と笑ってごまかす。医者にも、本当のことは言わない。

 外では平気な顔をしている。相談にのり、計画書を書き、電話をかける。ごく普通の職員の顔をして、日々をこなしている。

 けれど先日、その秘密がふいにこぼれた。ポケットから錠剤を取り出した瞬間、特別支援学校を出たばかりの十八歳の子に見られてしまったのだ。

「あ、道草さんの見ちゃいけないもの見ちゃった!」


その場はしんと静まり返り、誰も何も言わなかった。ぼくだけが火照っていた。
 気づいていないのは自分だけで、自分のことをいちばん知らないのも、やっぱり自分なのだろう。

 他の職員たちは、その子に常識的に接している。たしなめたり、黙って流したりして、大人の距離を保っている。けれど、ぼくにはそれができない。その子の言葉にうろたえ、たじろぎ、立ちすくんでしまう。

 ぼくの日常は、そんなささやかな戸惑いで出来ている。昨日だって、その子と肩を並べて力仕事をした。そして、ふいに落ちてきた葉のように、理由もなく笑い合ったりした。

 そして昼休み、あの子のお母さんの手作り弁当の、形の整っただし巻き卵を頬張るその子を見ながら、ぼくはこんな時なにを感じ、なにを思えばよいのかが判らなくなる。
 ただ、いろんなことが哀しくなって、哀しんだ自分を同時に少しだけいさめているのだ。


散文(批評随筆小説等) 六粒の薬 Copyright 道草次郎 2025-09-27 05:58:01
notebook Home