冷奴

 自傷する人や死にたい人をネットで見かけると、たまに、無力感がぶわわわっと首筋を撫でる。「私も自傷した事が、死にたいと思った事がある。」と言ったところでどうだい、その人は私ではない。私にはない希望と絶望がそう言わせている、の、かも。と思えばもう何も書き込めない。ごめんな、私、誰が死んでも構わない。昔、家で母と何気ない会話をしていたら突然、「冷たいね。」と驚いたように言われたから、私は芯から冷たい奴なのかもしれない。冷奴と名乗るべきだろうか。豆腐は好まないが、私が豆腐を名乗るなら味わうのは他人なのだし、そう悪い話でもない、気がする……が、まあ、冷奴に改名するかは後でゆっくり考えるとして、豆腐といえば「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ。」という有名な言い回しを思い出す。こちらは残念ながら言われたことはないが、本気で豆腐自殺をするなら大きめの冷奴を用意すべきではなかろうか。木綿、絹ごし、寄せ豆腐……好みの冷たい奴さんと鼻まで覆う熱いキスをする。うまくやれば、冷奴は温かく、キスした人は冷たくなれる。熱の交換に必要なのは、死ぬまで豆腐を離さない、その愛、だろう。私はそんなもの持ち合わせていないから、もしそうなら早いところ冷奴になってもいいかもしれない。そして人肌くらいになれたなら、今度こそ棄ててもらえるのだろうか。


自由詩 冷奴 Copyright  2025-09-06 15:22:42
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