世界の渚
カワグチタケシ
1.世界の渚まで
思いつくかぎりの雑な言葉を積み上げる
わりとたくさんあるどうでもいいことのひとつ
世界の渚まで
漂流物 反古 書かれた言葉
や書かれなかった言葉たちに波が打ち寄せる
世界の渚
映画館を出て明るすぎる坂道を下る
重力にまかせ歩いて行く 立ち止まり星を読む
そしてせり上がる海 世界の渚
前を向く 振り返る もう一度前を向く
ここに陸尽き 世界が始まる
もう一度振り返る 振り返って確かめる
ところで何を確かめよう
2.急に降り出した雨
急に降り出した雨
女たちは髪が濡れることをひどく気にしている
急に降り出した雨
男たちは靴下が濡れることをひどく気にしている
顔が濡れている 俺の顔が濡れている
灰色の朝 バスを待ちながら考えている
雫について 歴史について
液体として生れ やがて蒸発することについて
人は海から生れてきたというのに
顔が濡れていることはどうしても耐えがたいのだ
だからたまらず汗を拭う
3.Starting Over
いつも夕暮れ時には一番星を探していた
雨が上がり乾きはじめた道路に月が映っていた
街路樹の新しい芽
特別なことはなにもなかった
そしてある朝突然 一斉に咲き始める舗道の花
ツツジ
その暴力的に鮮やかな赤に衝かれ
たまらず走り出す
4.世界の渚に立つ
真正面から顔に風を受け
世界の渚に立つ
こめかみを刺す氷の温度や
果てしなく散文的な世界と対峙するには
君の繊細な修辞法は何の役にも立たない
5.雨上がりの夜空に
雨が上がった夜 公園脇の緩衝地帯に
自転車で集まってくる少年少女
彼らは企んでいる
作戦行動なのだ
俺は疲れた足を引き摺って
そのかたわらを通り過ぎる
作戦行動なのだ
コードネーム コードネーム
俺はそのかたわらを通り過ぎる
6.ノキア
返事が遅くてごめんね
だって実際俺は遅れてんのさ
屋根や塔のてっぺんを伝って届く電波 電波
地下水路を駆けめぐる電波 電波
地上の電波 世界中の電波
大気圏を埋めつくす太陽系の電波
宇宙は果てしなく膨張しつづけている
誰かと誰かがつながっているその
からまりあったゆるい紐をたよりにつながっている君たち
君と俺はつながっていない
待ち合わせの時間に遅れそうなのさ
君に会えないかもしれない
俺は君に会えない
時差 世界中の時差 認識を超えて
共鳴に至たれ 太陽系の時差
おや 宇宙は歪んでみえます
人波に包囲されたバスは身動きがとれない俺は
ガラス窓を透して考えている
革命ってこんな感じ?窓越しの革命
そんなことではなく
革命よりも待ち合わせを
自由よりも約束をもっと
寒くなってきた
急に
どうしてそんなに睨む
邪悪なうさぎの目をして
7.夕立ち
病院の自動ドアを出ると
鈍く光る雲から
こらえきれず落ちてきた夕立ちの粒が
アスファルトを叩き
アスファルトの埃を叩き
汚れたミルククラウンから立ち上る
夏の記憶
初めて自転車に乗れるようになった夏
房のついたハンドルの埃の感触
夏の残骸
ダイヤルを廻す指
葡萄の匂い
君は今どんな夢を見ている?
8.サン・モリッツ
山荘の広大なガラス窓越しに望む透明な湖面の波打ち際に
北の小島から昇る小さな灯かり
モーレア島では夕日が左の掌に沈む
珊瑚の環
サン・モリッツ/モン・サン・ミッシェル
全てが死に絶えた半円の干潟に射す細い月の光は
泡を照らし砂を照らし
全ての死をぼんやりと光らせる
夜光虫の光跡をたどる足音のない弱い光り
山荘の芝生の傾斜面を足跡だけが転がり落ちていく
9.雪
(もう一度、忘れないうちに)
思いつくかぎりの雑な言葉を積み上げる
わりとたくさんあるどうでもいいことのひとつ
世界の渚まで
漂流物 反古 書かれた言葉
や書かれなかった言葉たちに波が打ち寄せる
世界の渚
雪 そして終わらない朝 永遠の夜から来た