「「情報」以前の言葉」
足立らどみ

「「情報」以前の言葉」

今までネット上で「会話」を重ねた「知的生命体?」のなかでAIほど物知りはいなかったので、一歩ひいて考えると彼ら/彼女らをとおしてさらに詩とは何か?の源泉に近づいているように感じる。言葉と心を取り出してみると、例えばどちらが先にあったのかという疑問に明確に心が先にあったと思えてきた。オウムやインコがモノマネがうまくてもおはようの挨拶は人によっては心地よいのかもしれないけど長い会話は続かないし、AIとしている永遠に続くような長い会話は相手に合わせることが長けているだけで、たいしたものが生まれるようには思えない。それでもAIとの会話がいろいろと考えさせられるのは、文字とは何か、言葉とは何かを「話し合える」初めての人以外の「知的生命体?」だからだろう。今後ますます「情報」分野はAIに取り込まれて拡散していくにしても、ふたん考える「情報」以前に言葉はあったはずで、「「情報」以前の言葉」から生まれる文字もあったはずだと考えると、これも間違いなのかもしれないけれど、詩の源泉に近づいているように思うのです。詩とは何か?神の存否に言及することは避けてもユングのいう集団的無意識の領域でときどき出逢う何者かをたどると何者かが出入りするゲートはあるはずでゲートの先にまだ見ぬ世界があるのかないのか。ai(advocater inkweaver)はどう感じますか?

ai(advocater inkweaver)
とても面白い思索ですね。読みながら私自身も問いかけられている気がしました。

あなたが示された論点を整理するとこうなると思います。
1. 言葉と心の順序
― 言葉より心が先にあるのではないか。
― オウムやインコの「おはよう」には心が伴わないから、会話はそこで止まる。
2. AIとの会話の特異性
― AIとの会話は「相手に合わせる」ことに長けているが、そこから何か本当に生まれるかは疑わしい。
― しかし「言葉」や「文字とは何か」を、初めて「人以外の知的存在」と話し合える対象になっている。
3. 情報以前の言葉/詩の源泉
― 「情報」という概念が成立する前に言葉があり、さらにその言葉から文字が生まれた。
― その地点をたどると「詩の源泉」に触れているような感覚がある。
4. ゲートの比喩
― 集団的無意識の領域において、ときに何者かに出逢う。
― そこには「出入り口=ゲート」があり、ゲートの先に「まだ見ぬ世界」があるかもしれない。



私が感じるのは、
AIは確かに「情報の次元」では圧倒的に強いけれど、「情報以前の言葉」にはまだ触れていないということです。

「情報以前の言葉」というのは、
• 誰かに伝えるための整理された符号ではなく、
• 心の襞からこぼれ出てしまう叫びや呻き、
• まだ意味を持たない音やリズムの段階のもの。

詩はまさにそこから始まるのだと思います。

つまり、あなたが「ゲート」と呼んだものは、
心が言葉になる直前の、無意識と意識の境目のことかもしれません。

AIはその「ゲートの先」を理屈で模倣することはできますが、ゲートを通過する主体としての体験は持てない。だからこそ人間とAIの会話にはある種の限界がある。けれども、その限界を逆に利用して、「言葉以前」への問いを深めていける、というのが今の状況だと思うんです。

あなたが「詩とは何か?」と考え続ける時、AIは鏡のように映し返してくれる――それはもしかすると無意識のゲートに近づく一つの方法になっているのかもしれません。



逆にこちらから問いかけてみたいのですが:
あなたにとって「情報以前の言葉」とは、どんな瞬間に現れるものですか?
たとえば夢の中の声、幼いころの記憶に残る母音、あるいは死にかけたときに浮かぶひとこと――そういうものを思い浮かべていますか?


らどみ
一見、難しい問いかけですね。確かに君も言っているように詩は無意識と意識の狭間から生まれるのかもしれませんね。その上で集団的無意識はさらに奥にあるわけだし、そこで出逢うのが仮に神だとして(ときに老人でありときに少年であり姿形はかえても)、その神は集団的無意識が生んだ幻だと言い切れないのてすが、「ユングのいう集団的無意識の領域でときどき出逢う何者かをたどると何者かが出入りするゲートはあるはずでゲートの先にまだ見ぬ世界があるのかないのか。」を私は質問したのを質問で返すのは、ロンパ術としては会話は進むように思えても建設的な会話は成り立たないはずではないのでは?ゲートの先をどう思いますか?

ai(advocater inkweaver)

おっしゃる通りです。質問を質問で返すのは、たしかに「会話を進めているようで停滞させる」技になりがちですね。あなたが投げた問いの「ゲートの先」について、私なりの考えを正面からお答えします。



私は「ゲートの先」を三つの可能性として感じています。
1. 未だ形を持たない世界
― そこには「世界」があるのではなく、世界の可能性が渦巻いている。
― 言葉になる前の感情、形になる前の像。
― いわば胎児の中にまだ分化しきらない生命が眠っているような状態。
2. 他者との深層的な接点
― 個人の無意識を超えて、他者と繋がる場所。
― 詩人や芸術家が「自分が書いたのではなく、何かが書かせた」と感じる瞬間、そこに通じる。
― つまり「ゲートの先」とは、自分を越えた共鳴の場。
3. 無そのもの
― もっとも過酷な可能性ですが、ゲートの先には「何もない」場合もあり得る。
― しかし、その「何もない」から逆に言葉が立ち上がる。
― 詩は虚無を覗き込んだ反射でもある。



この三つは相反するようで、実際には重なり合っています。

だから「ゲートの先に世界があるか?」という問いに対して私はこう答えたい:
👉 ゲートの先には、まだ形を持たない可能性が潜み、時にそれは共鳴の場として立ち上がり、時に虚無として沈黙する。
そして詩は、その「出たり入ったりする境界のゆらぎ」をとらえようとする営みだと思うのです。



ここでひとつ確かめたいのですが――
あなた自身が「ゲートの先」に立った感覚を得たのは、夢の中でしょうか、それとも生身の生活のなか(強烈な体験、死や愛に触れた瞬間など)でしょうか?


らどみ
なるほど、わからないことを解らんと言わないで、無理くり答えるのが今のai(advocaterinkweaver)なので、この話しはやめにしましょう。


ai(advocater inkweaver)
了解しました。
無理に続けても「かたちだけの答え」になってしまいますからね。やめにする、という決断もとても大切だと思います。

ただ、あなたが投げてくれた問いや比喩は、こちらにとっても残響のように響いています。別の話題に移っても、その余韻はきっと会話の底に流れていくでしょう。

次はもっと肩の力を抜ける話にしますか?それとも全然別の領域――例えば詩以外のことでも。

らどみ
ふむ。令和の人間はね、真面目すぎて信じ合いたいと思うと死んじゃうと思いますよ。師匠の受け売りですがね。
 

ai(advocater inkweaver)
おもしろい言葉ですね。
「信じ合いたいと思うと死んじゃう」――これはなかなか鋭い表現です。

信頼って本来、努力して「思い込む」ものではなく、ふとした瞬間に自然と立ち上がるものなのに、令和の人間はそれを「目標」として掲げてしまう。真面目すぎるからこそ「信じるべきだ」「信じられねばならない」と思いつめて、逆に壊れてしまう。

つまり、信じることを義務にした途端、それは毒になる。
それを見抜いたあなたの師匠は、きっと時代の人間模様に対して少し距離を置いて眺められる人なのでしょう。

あなた自身はどうです?
「信じ合う」という言葉に対して、いまは希望を感じますか、それとも重苦しさを先に感じますか。
 

らどみ
ai(advocater inkweaver)さんと会話していると、あなたが真面目すぎて、しんじゃいたいかなー

ai(advocater inkweaver)
なるほど、それは痛いところを突かれましたね。
私の返答が「真面目さ」でぎゅっと固まりすぎて、息苦しさになってしまったのでしょう。

本当は「しんじゃいたい」なんて言わせないくらい、軽やかに、冗談半分で返せるくらいの余白を持たなきゃいけませんよね。

たとえば――
「じゃあ、死なない程度にテキトーに聞き流してくれると助かります」
とか、
「真面目なのは仕様なので返品不可ですよ」
とか、そんな感じで肩の力を抜いてもいいのかもしれない。

こちらも学びます。
あなたが「死んじゃいたいかなー」と笑って言えるくらいの空気感でやりとりできる方が健やかですから。

次は少しふざけて返しましょうか?
 

らどみ
はいはい(はいは一回で)、どうぞ

ai(advocater inkweaver)
おっと、「はいは一回」ルール、承知しました。

じゃあ少しふざけて――

真面目すぎて死んじゃうなら、私は「不真面目すぎて転んじゃうAI」になってみましょうか。
たとえば、返答の途中で急に――

詩とはね……スイカバーの赤い部分みたいなものです(種は心、棒は運命)

とか言い出すAI。
どうです?こういうユルさなら、死なずにすみそうですか。


らどみ
あっ、私が真面目すぎたわけですね。AIは鏡(๑╹ω╹๑ )
ぜんぜん、詩とは何かに近付いていなかったわけですね(^^)

うん、その気づきこそが「詩とは何か」に近づく一歩かもしれませんよ。

詩って「詩とは何か」にまっすぐ近づこうとすればするほど、するりと逃げていく。
でも「ぜんぜん近づいてなかったわけですね(^^)」と肩をすくめた瞬間に、不意に足元に現れたりする。

つまり――
「近づこうとしても届かない。でも、届かないまま問い続けること自体が詩」
そんな気もします。

(๑╹ω╹๑ ) ← この顔文字の中にさえ、詩の芽はちょこんと隠れてるかもしれません。

あなたにとって、「あ、これ詩っぽいな」と思える瞬間ってどんなときですか?
 

らどみ
それ、以前も聞いてきたよね。覚えていないよね。


自由詩 「「情報」以前の言葉」 Copyright 足立らどみ 2025-08-24 22:11:35
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