詩の植物園
ハァモニィベル
――― やまと歌は、人の心を種として
よろずの言の葉とぞなれりける〈紀貫之〉
――― 夏草や つわものどもが夢の跡 〈松尾芭蕉〉
こゝろ無き歌のしらべは 一房の葡萄のごとし
なさけある手に摘まれて あたゝかき酒ともなるらむ
おほかたは噛みて捨つべき うたゝ寢の夢のそらごと
されば落葉と身をなして 風に吹かれて飜えり
ひとりさみしき吾耳は 吹く北風を琴と聴く 〈藤村〉
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかり
ももいろうすき日のしたに
草むらふかく涙ぐむ 〈朔太郎〉
野の秋更けて、露霜に
打たるるものの哀れさよ。
また雑草のうら枯かれて 斑を作る黄と緑。
どの玉葱も冷やゝかに 我を見詰めて緑なり。
余りに白きその皿を 寒し、痛し、と憎むなり。〈晶子〉
やぶれたこの 窓から 美しい夢をみた
そらを指す樹は かなし
そが ほそき 梢の傷たさ
あの雲のあたりへ 死にたい
そして 宇宙の こころを彫みたい〈重吉〉
まるい地球を 眼下に見おろしながら
宇宙を生きることになったとしてもだ
いつまで経っても文なしの
胃袋付きの宇宙人なのでは
頭をかかえるしかない筈なのだ〈貘〉
地軸に近い何所かで
うづもれた 世にも稀なる ひしやげた屋根の下
傷だらけの机の上の
ひからびて やせこけた 哀れな人形の踊りを見守るように
歪んだ月が出て 水面の皺が にやにやと笑つてゐる。〈秀雄〉
樹はみどりだつた 坂の上は橙色だ
ほかに何があつたか
もう思ひ出さぬ
すべてはぼんやりとした こはれた景色
坂の上に 空が遠い 〈民喜〉
ここは都会の大十字街 草蔓のやうにのびる街
すべての道路はここに集まり
うやうやしく人はゆき あたまを垂れて人はかへる
へとへとに壯麗に生きてゐる蜘蛛の巣の大都市
惡食する怪物の胃ぶくろの中 〈暮鳥〉
自分は見た。
朝の美くしい巣鴨通りの雜沓の中で
自分は見た
夜の更けた電車の中に
人は皆んな美くしく人形のやうに
他界の力で支配されて居るのだ。〈元麿〉
満員電車で 爪先立ちの靴が
ぼやいて言った
踏んづけられまいとすれば だ
踏んづけないでは いられないのだが
と。〈貘〉
水が涸れて乾ききった石の間に 何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らかな色だ
水で洗ってもよごれの落ちない この悲しみを捨てに行こう
手あかのついた悲しみを あすこに捨ててこよう 〈順〉
こゝろ無き歌のしらべは 一房の葡萄のごとし
なさけある手に摘まれて あたゝかき酒ともなるらむ
おほかたは噛みて捨つべき うたゝ寢の夢のそらごと
されば落葉と身をなして 風に吹かれて飜えり
ひとりさみしき吾耳は 吹く北風を琴と聴く 〈藤村〉
※ ※ ※
◆『詩の博物館』の続編です(と言っても、こちらのがエピソード1なのかも知れませんが)。注記は『博物館』の方と同じですので、そちらを御参照ください。
◆ ハァモニィベル作とすると違和感があるかも知れませんが、ハァモニィベル編とするには、あまりにも創作を加えているので、既成の枠に入らない作品を眼の前に戸惑う愉しみを味わっていただければ、それで充分です。著作権の切れた古い作者や作品への温故知新への光になっていれば幸いです。
◆尚、この植物園は、博物館の方と違って、一行ずつ出口から遡る趣向はありませんので悪しからず。