戦後ちしき人が落っこちた穴ぐらの暗さ
室町 礼

えー、暑い。暑い上に、
ほんと恥ずかしいような日々が続いているわけです
が、まあ、散文随筆ばかり書いていてはアレなんで、
ときどき意識して詩もどき(わたしは「短文」と自
称していますが)を投稿して、詩が中心の投稿板の
皆さまから嫌われないようにしています。
でもやっぱり短文投稿というのは恥ずかしい。
ぶっつけ本番で思いつきをささっと書いていたとし
てもどうしても自分の恥部のようなものがどこかに
こそっと出てしまうものでして、そこのところはだ
れにも気づかれなければいいんだけどなあと頭をか
いて投稿しています。
穴といえば、
戦後80年ということで「日本の戦争責任」などと
いうアホ丸出しの論議がまたしてもあちらこちらで
語られています。
表紙と目次しかAmazonの写真でみていませんが、
現代詩手帖8月号では
 【特集】〈戦後〉80年への問い
と銘打って詩人の瀬尾育生が
 "宇野邦一+瀬尾育生「戦争機械」への感性が試
 されている 世界史から読む現代詩"
という対談で究極的に愚かなことを喋っています。
いいですか、
インディアン(アメリカ原住民)が
大陸入植の白人を襲った大規模な事件は数々ありま
した。北西インディアン戦争、クリーク戦争、セミ
ノール戦争、ブラックホーク戦争。これらのインデ
ィアンによる「襲撃」事件の数々
をインディア部族長の資質の問題や、部族の体質、
部族社会構造の問題で論じても意味はないのです。
インディアンが白人入植者から独立し隔離された環
境のなかでいながら白人を襲ったのならインディア
ンの問題ですが、インディアたちはインディアンを
取り巻く大きな渦のなかにいた。この大きな渦の構
造(白人入植者がインデアンを人間とはみなさず黒
人奴隷と同じくモノ的生物とみていた上、土地、資
源の強奪を正当化するために謀略をはりめぐらせた)
ことを分析せずして数々の「インディアン襲撃事件」
の原因究明どありえないのです。
ところがインディアンの戦争と同じく、
戦後日本の知識人は、日本を取り巻く国際情勢や外
圧を考慮に入れず戦争を起こした原因を日本の政権
や日本人の体質、社会構造、日本の歴史にのみに求
めた。国際社会の渦の中にあってもまれている一国
家の内側だけみても大東亜戦争の本質や原因など
みえてくるわけがない。
平たい言葉でいえば戦後日本の知識人はだれひとり
"国際〈資本〉の自動増殖"という視点から太平洋戦
争を語ったものはいなかった。もっと平た
くいえば、戦後知識人は
「アメリカが悪い」とは言えなかったのです。
現代詩手帖8月号で「戦争」を語っていた瀬尾育生
の「戦争機械」という概念はドゥルーズ=ガタリの
『千のプラトー』からの流用でしょう。
ガタリらの「戦争機械」という観念的構想は既存の
秩序(特に国家の構造)に対抗する働き全般を指し、
国家に対して以下のような対立構造をもっています。
1️⃣非国家的性質
「戦争機械」は、国家のヒエラルキーや統治機構
(「国家装置」)とは異なり、中央集権的な支配に
縛られない。遊牧民や反体制的な集団がその例。
2️⃣外部性
国家の内部で機能するのではなく、国家の外部から
現れ、既存の秩序を攪乱する。
3️⃣運動性と変形
「戦争機械」は固定された形を持たず、状況に応じ
て変形し、異なる文脈で機能する(例:芸術、革命
、技術革新など)
この1,2,3の性質はそのまま増殖する国際資本
の性質そのもを言い表していることにガタリも瀬尾
も気がついていない。これらはまるっきりそのまま
国境をもたないグローバリズム資本の性質そのもの
なんです。
「戦争機械」の概念は『千のプラトー』における中
心的なテーマ──人間意識の脱領土化(=脱国籍化、
脱国境化)を示しているのですが、これ、
そのまんま巨大に膨張する無国籍資本の理念そのも
のなんですよ?
そのことに瀬尾やガタリが気づかないことに皆さん
は驚かれると思いますが、それも当然のことで、特
権的知的エリートがそのバックボーンとするものが
この「戦争機械」なのですから。その吉本新喜劇
的な反転されたコメディには嗤うしかない。
かれらによれば、
国家は「戦争機械」を取り込むことで、自身の権力
を強化しようとすると語りますが、現実は正反対で、
「戦争機械」(=無国籍巨大資本)こそが世界中の
国家を国家として無力化し、無力化した国家を取り
込んで自在に動かしているのです。今の日本をみれ
ばわかるでしょうに! あるいはウクライナをみれ
ば。
日本の知識人が愚鈍なのは、戦後の大規模な〈戦争〉
がほぼすべて〈新植民地主義〉Neocolonialismの
理念にそって行われるということを見逃していると
ころにある。
資本主義の煮詰まった形式であるこのNeocolonialism
思想はまず、米国がそうであるように自国民から徹底
的にその富を収奪する。それは2000年以後の日本で
もそうなっています。
日本の知識人が愚鈍なのは戦後の戦争が、戦争に勝つ
ことを目的としていないことが理解できないことです。
戦争を始めるのは巨大な無国籍資本ですがそれは戦争
に勝つことが目的ではない。まして領土の占有でもな
い。アフガンでもベトナムでもウクライナでも米国と
その支援国である欧州多国籍軍は大敗していますが米
国軍事産業などは武器庫が空になるほど大儲けしてい
ます。
※米議会が承認したウクライナ支援の総額は約1,740
億ドル(約26兆円)で、その多くが米国の防衛産業に
還流。具体的には、武器の生産や在庫補充を通じて、
ロッキード・マーティン、レイセオン、ノースロップ
・グラマンなどの大手軍事企業が利益を得ています。
(以上、AI:Grok3の回答)
あらゆる戦後の戦争は巨大資本の資本収奪競争なので
す。儲け終われば戦争の勝敗などどうでもいいのです。
まして敵国の領土を占有するなど、とんでもないこと
であって国家は大損することになります。
沖縄を米国がさっさと手放したのは他国を占有すると
インフラ整備や施政に巨額なマネーがかかるからであ
って日本に押し付ければ日本が都市を整備するし基地
には毎年2000億の補助金交付金をもたらすからで
す。これと同じで戦争でどこかの国を占領支配などす
ればどれほどの資本を注ぎ込まなければならないか、
欧米各国はよくはわかっています。米国がアフガンか
らさっさと撤退したのは当然のことです。儲けは完了
したのですからウクライナも近々そうなるでしょう。
瀬尾育生らの世界観がマンガちっくなのは現実の世界
を一ミリも洞察しえないで、まさにポエムのような夢
の世界で遊んでいることでしょう。それもフランス思
想なんかを振り回して。「労働者よ団結せよ」と宣言
したマルクスらは知識人をどう見ていたか。
マルクスは知識人がしばしば支配階級のイデオロギー
を正当化する「イデオローグ」として機能すると指摘
していた。(エンゲルスとの共著『ドイツ・イデオロ
ギー』フォイエルバッハ論)
たとえば、大学教授やジャーナリストなどが、資本主
義の体制を擁護する理論や文化を広める役割を担うと
見なしている。この予言はいまや忘れ去られているよ
うではあるが重要な指摘であると思うのですが、さて、
みなさまは現在の日本の腐った言論情況をみて如何に
お考えでしょうか。
では、あひっ。


※瀬尾育生の戦争論、
それはそれなりにポエムとして読めば面白いのですが、
現実の戦争では生きた大衆庶民の血が流れているので
す。馬鹿げた与太話はいい加減にしろといいたい。


散文(批評随筆小説等) 戦後ちしき人が落っこちた穴ぐらの暗さ Copyright 室町 礼 2025-08-11 16:30:33
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