メビウスリング~現代詩フォーラム~文学極道~ビーレビ~現代詩フォーラム
山人
二〇〇九年にメビウスリングに投稿を開始した。此処の年齢層は若年から中年までといった具合で幅広く利用されているようであったが、当時すでに私は五〇を超えていた。つまり年配者であったようだ。
メビウスリングのカテゴリーは広く、詩であってもいくつかのレベルに応じた段階があり、手当たり次第に糞詩を量産していた。主に私が利用していたのは感想詩とプロ詩である。感想詩のコメントは辛辣な批評じみた書き込みは禁止されており、当たり障りのないコメントを書く必要があった。一方プロ詩は厳しい批評に耐えられる人が参加できるとされていた。順不同だが(敬称略でもうしわけないが)愛妾・はかいし・イカイカ・シリカゲル(いろいろハンドルネームを変更)・長押新・・・などがいた。こちらで活躍の黒髪氏もいたであろうか。主流は耽美的な内容のものが評価されていたようである。私自身、長押新・はかいし・いかいか・愛妾などの影響をかなり受けた。かれらはもしかすると今でもハンドルネームを変え、ビーレビなどを利用しているのかもしれない。
メビウスリングで楽しかったのは返詩だ。返詩の正確な定義は分からぬが、他者の詩に自分なりの解釈で返していくというものである。味噌といえば醤油という返しもあるが、味噌と言えば発酵食品、とか、様々なとらえ方をすることができる。よって他者の詩から想起されるものを自分なりの文体していくという良いトレーニングも積むことができた気がする。
二〇一〇年から現代詩フォーラムに参加し、少し遅れて文学極道に参加。当時はつまり、メビウスリング含め三か所に投稿していたことになる。メビウスリングは増産工場で、ある程度選定したものを現代詩フォーラムや文学極道に投稿していた。現代詩フォーラムは今ではどうかわからないが、当時、一日数作を投稿できた。そして削除も容易にできることから、あの当時のまま削除せずに投稿していれば、今頃は三桁ほどの投稿作があったことであろう。
一方、文学極道はひと月に二作と限定され、もちろん厳しく辛辣なコメントが多く、罵倒耐性が必要とされた。いまでこそ面白さを感じ取ることができるようになったが、当時は難しいレベルであった田中宏輔・ダーザイン・いかいか・鈴屋・前田ふむふむ、他が印象深い。
文学極道の終焉期、一つの塊がビーレビをつくり、そこに数年登録し、投稿もしたりした。しかし、こちらは罵倒禁止とされており、コメントもさほど突っ込んだものは見られなかった。一応、文学極道から派生したサイトではあったが、サイトデザインやセンスはかっての文学極道を超えるものではなかったと私は思う。第一フォントが好みではなかった。
文学極道は主にメタファ詩が多く、その読み解きの妙と、無理のない解釈法が面白味を感じた。つまりコメント欄を楽しむというものだった。コメンテーターはこれぞと思われる読解を披露する。その読解が優れた人にも、優秀レッサー賞、なるものも与えられた。何はともあれ、文学極道では月ごとに佳作や優良といった賞が贈られた。それらを多く受賞すると、年間創造大賞・年間抒情詩大賞・実存大賞・新人賞・レッサ-賞といった賞が付与されるのである。私は実存賞二回・抒情詩一回をいただいたことがあるが、さすがに私のレベルでは創造大賞は無理だった。なにはともあれ、運営的な問題だったと思われるが二〇一九年だったであろうか文学極道は閉鎖された。しかし、更新・投稿不可だがサーバーには残っているようだ。
メビウスリングも文学極道が閉鎖される少し前に閉鎖された。メビウスリングはすでにサーバーも存在しないようだ。
今現在、私にとっての詩は時間の上澄み水を掬うといった具合で、まるで量産できない。言葉を連ねることにすごく臆病になっていて、かつての自動筆記のようなものは難しくなった。
現代詩フォーラムが閉鎖されたらどうなるだろう。私が暖をとり、一服する小部屋が失われてしまう。プラスチックで仕切られた木の匂い一つないビーレビなど入室はしたくないと思う。
私の詩のレベルはこんなものだが、今からもう少し先へと進まないといけない。書きたいもの、表現しなくてはならないもの、書かなければならないこと。これらは確実に存在する。しかし、その実態はまだ雲をつかむようなものだ。