秋はまだ訪れていない
山人

 八月六日、ひさしぶりに雨が降り、午後は合羽を着た。気温もさほど高くなく、空調服は着ずに作業した。草刈り作業であったが、この雨降らずの天気で草丈は伸びず、土埃舞うぺんぺん草を刈り取るというレベルだった。国道から見える岩肌の山に張り付くように生えている灌木群は、ひたすら続いた高温と水不足で茶色に枯れている。灌木どころか道端のススキの穂ですらもまだ膨らんでいない。田を持つ所有者たちは水不足に不安を募らせ、大きな水タンクを汲み田に入れているようだ。焼け石に水だと、田を持つ同僚は言っていたが、こんな年は今までなかったのだろう。
 今年の花愛で登山者は空梅雨で晴天が続き、思ったより入込が多かった。今年の大雪で、かなり遅くまで花を楽しめるかと思ったが、暑い日が続き花期もあっという間に終わった。山はしばらく端境期となり、アブ類が目立ち始め静かな時期を迎える。
 ここ数日は釣り客が入り勤務は休んだ。わずか数名の客だが、何から何まで一人で立ち振る舞うのは大変な労働だ。なにしろ作業分担ということがない。一人で掃除洗濯、調理、応対など、すべて自分でやらなければならない。わずか六品か七品の総菜をつくるのにもあたふたしてしまう。それは自分で食うのではなく、人に提供するということであり、自分の腹の隙間に食い物をぶち込むという作業ではないのだ。量的に少し少ないのではないのか?といった分量が一番良いとされる。しかし、もともと生粋の料理人ではない私が作るものなどたかが知れている。せめて心のこもったものを・・とか、意味不明な喩えもいらない。淡々と味を見ながら作り上げるのである。数日前に猟友会長さんからいただいた熊の肉をユウガオとともに煮込んでみたが、これが旨く出来た。ユウガオ自体は柔らかく、熊の肉は固い。つまり、肉を前もって二時間ほど茹でてからユウガオとともに料理が始まる。人が何かを行うこと。それぞれにすべて技術が必要になる。草を刈ることなど誰にもできるが、上手に刈ろうとすると技術が要る。ただ、何事もそうなのだが技術を求めると努力しないといけない。私のようなずぼら人にはやはり難しい。
 八月八日、早朝の大雨は不気味に思えるほどだった。釣り客は四時に弁当持参で釣りに行くというので夜明け前から準備したが、この土砂降りで一旦引き返してきたようだ。あれだけ続いた日照りの日々は結局相殺されるのである。
 午後二時、昨日に比べるとはるかに時間的余裕がある。本来、もっと手の込んだメニューだったが大幅に変更した。手の込んだものを提供したとしても相手に伝わるとは限らない。だとすれば、オーソドックスなモノを出した方が良い。といった具合に何事も根が続かず、手っ取り早い方向へ舵をとることが多くなった。
 雨は上がり、再び気温は高くなってきたが暑いと感じることはない。ただ、セミがうるさい。セミ。何かを食べているのであろうか、しっかり眠れているのであろうか。なにしろそんなことはまったくどうでもよくて、繁殖のために鳴き続けるという性なのである。今現在日差しが無いのでミンミンゼミは鳴いておらず、アブラゼミのみだ。雨が降らなければ夕刻にはヒグラシが鳴き始めるだろう。
 夏至から一か月半過ぎた。日没は早くなり夜明けも遅くなった。盆が明けると勤務はいよいよ後半戦へと突入する。めんどい臭い朝夕の無意味な談笑があと三か月半で終わる。十一月末に十六シーズン勤めた職場に見切りをつけると決めている。来年はどうなるか。遊んでもいられないがとにかく今の職場からは一線を引きたいと考えている。組織の中にいるということは福利厚生など、ある程度は守られているということだ。当然金銭的にも余裕はなくなるのは明白だ。しかし、体は次第に拒否しつつある。
 八月九日、客は午前十時にようやく出発した。簡単な雑用を済ませ、早めの質素な昼食を摂る。
 正午を回ったころ、盆前ということもあり、家周りと隣人宅の廃田付近を除草した。草丈は短いため、ロープカッターを使う。よって時間を食い三時間要した。
 八月十日、雨予報だったが酷くないので登山口付近の大駐車場周りの残った除草作業を行うべく、夜明け前に家を出る。休日ではあるが、雨予報のため誰もいない。草丈が短く、草が点在するという状況であり、刈払い機はロープカッターを用いた。これを使うと小石や砂などが飛散する恐れがあるため、近くに車が停車されている場合、窓ガラスなどに当たらぬよう気を遣わなくてはいけない。だから早朝の雨天予報を狙ったのである。ほぼ二時間ほど実施し終わった。ついでにさして汚れていないトイレも掃除した。便器は糞がこびりついておらず容易に済んだ
ひさびさに女子トイレには生理用品が突っ込まれていた。
  朝食を摂り、こうして何もしない時間帯を過ごしている。アブラゼミの合唱の天井でミンミンゼミが独唱している。都会人がカエルの合唱は騒音だといった人がいた。確かにそうなのかもしれない。でもそれは柔らかく心地よい温度感があるように思える。でもセミどもの鳴き声は耳に刺さり、暑さを助長する。それを少し緩和してくれるのがヒグラシなのだろうか。秋はまだ訪れていない。


散文(批評随筆小説等) 秋はまだ訪れていない Copyright 山人 2025-08-10 13:39:49
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