進化は止まらないことから始まる
ホロウ・シカエルボク
部屋の隅に転がった昨日の俺が奇妙な声を上げながら塵になって消えて行く、別に心残りなどあるわけでもなかったし生きながら化ける理由なんてものもあるはずはなかった、けれどそれが例えば俺とはまるで関係の無い何かが俺の振りをしているという風にも思えなかった、もちろん表面的な「俺はそう思う」だけでそういう現象を片付けるわけにはいかなかったし、答えが出ないなら無理に探さずにいったん泳がせておこうという結論に逃げるのが精一杯だった、それは例えば動画に収められた霊の声みたいに釈然としない落としどころだった、納得は勿論してはいなかった、でも突き詰めても辿り着けないであろう事柄について無理矢理突っ込んでみるのは愚策だというのがわかっているくらいには歳を取っていたのでそう判断したことについては妥当なところだと自分をなだめた、時間は蛞蝓のように流れた、きっとそれは湿度のせいだった、ろくな環境で暮らしたことが無いせいか、そうした厳しい自然現象にはすぐに慣れることが出来る、それを思えばどんな人生でも得るものは必ずあるという言葉は真実なんだなと思わざるを得ない、夏、夏と言えば熱風と蝉どもが引く狂気のトリガー、そんなものしか思い浮かばない、近頃の研究結果では蝉は七日以上生きるという、もう彼らはひと夏の儚さではなくなったということなのだろう、蝉にしたってそんな儚さやセンチメンタリズムや畜生なんかを押し付けられるのは迷惑な話だろう、彼らは自分の生まれに忠実に生きているだけなのだから―そういえば古い漫画にこんな話があったんだ、「キリンの首が長くなったのは高い所の草を食べるためじゃなくてただ何となくそうなったのだ」そう、俺自身も何度かそんなことを口にしたことがある、ただそこで起こっているだけならただの現象に過ぎないのだと、ただの現象というのは必ずある、ただの現象というのはどんな世界においても必ずある、実際の話、キリンの首が伸びた理由などどうでもいいのだ、俺がこうして書き続ける理由だってどうでもいいのだ、意味を探すという作業、それをするかどうかの違いでしかない、俺も昔は闇雲にそれを求めた、そしてそれは結果ではなく過程によって得るものだという気付きに至った、だから俺は動く前にそれを決めることはしない、動く前に定めてしまうと窮屈になる、その定義の中でしか動けなくなる、例えばそれが自由というワードだったとしてもだ、考えてもみろ、自由というワードを設定するという行為には矛盾が溢れている、定義を必要としないものが自由だ、そうだろ?俺は何も決めない、イズムは勝手に出てくるものに任せればいい、俺は頭を使わなければ書けないような馬鹿ではない、インスピレーションの連続をそのまま記録することが出来る、俺の頭は勝手に回転し続けている、リミッターは何も無い、もっとも自然な速度で回り続けている、常に回り続けているんだ、どこからでも取り出すことが出来るようにね、すべてが瞬間瞬間で決定される、それはとてもスリリングさ、刺激的なんだ、一見出鱈目に並べられたものが最後の一言を書き終えたあとでひとつのものになる、その時初めて俺は自分が何を書こうとしていたのかを知るのだ、そうして一度外に出された思考はもう一度飲み込まれて吸収される、そしてもう一度生まれる時にはまるでパラレルワールドの意識のようにほんの少しだけ違うものになっているのさ、もう少し大胆に言わせてもらおうか、俺は書いてきた詩の数だけの世界を生きているということさ、何度も何度も塗り替えられて本当の色になって行くんだ、でも俺はそれが全部塗り替えられるまでは、塗られているのが何色なのかさえ知らないんだ、もしかしたら塗り終わった後でもそれが何色なのかはわからないのかもしれない、例えばもう何も出来なくなって、終わりを迎えるその瞬間にすべてを知ることが出来るのかもしれない、動き続けているうちは知ることが出来ないものなんだ、きっと―だから、その日出来ることを出来る分だけ積み重ねて行けばいい、いや、この言い方は良くないな、出来る、出来ないじゃない、出来ない時だって出来なくちゃ駄目なんだ、書けない自分を許してしまったらきっとどうしようもない結果になる、俺が何故、こんな風に思うようになったのか、結構単純なきっかけだったんだけど、ある時月に二つしか書かなかったことがあったんだ、俺はそれに危機感を覚えて、ひと月毎日二千文字以上の詩を書くと宣言してそれをやり切った、あの頃くらいからだよな、こんな風に考えるようになったのは…気が乗らないとか、何も浮かばないとか、そんな時ほど思いもしなかったものが生まれたりして、しかもそれが結構ウケたりしてね、書かないことを肯定するくらいなら無理にでも書いてみたほうがいい、あの日々は凄く俺に色々なものを与えてくれた、書き方にもいろいろなものがある、自分の望む書き方が出来ないからって悩むことはない、すべてを自分のやり方にしてしまえばいい、手段なんかどうだっていい、結局それによって何が生まれるのか、それを知っているかどうかさ。