『冥土の土産』
洗貝新


20世紀後半くらいだろうか。携帯の画面も小さくて便利な二つ折りが出てくる前だった。インターネットが普及し、爆発的にマイクロソフトやグーグルが世界を席巻する。メールから個人がブログという枠を起ち上げはじめた。
機能も大幅に増えて双方向のやり取りから投稿を通じて愉しめるサイトがどんどん出てきた。そうして投稿されたものを素人が普通に評価し合うという、投稿詩の原型のようなサイトがたまごのように出来上がるのだ。
稚拙にも詩などと呼ばれるモノを書き込んで送信する。
これが全国のユーザーに見られてしまうのか、と思えばゾクゾクとしてくる。
まだ詩の良し悪しなどわからない。でも投稿されたものには明らかな違いがあった。
文章の上手い人。面白いユニークな作り。刺激的な言葉たち。読み終えて何かしらの感動を覚えてしまう。
あのゲーテやリルケの世界がここにもあるのだ。
そうなれば詩への没入はますます深くなってくる。

ネットの黎明期は刺激もあり書いて投稿するのが愉しかった。
幾つもの名前で幾つもの投稿サイトへ毎日のように書いては投稿していた。
四半世紀が過ぎて、検索して振り返っても残っているサイトはほとんど見当たらない。
サイトと共に、わたしの言葉も消えてしまった。
何か好い言葉を残していた、気もする。どんなタイトルで、どんな詩人たちに言葉を投げかけていたのだろうか。ときにはメチャクチャな言い争い。怒り、そしてジョーク。愉しかった。思い出。

片野氏が主催する現代詩フォーラムは歴史を刻む数少ない投稿サイトの一つだ。
取り入れられた作品の数も膨大で、ここを足場に世界各地の空へ羽ばたいて行った好事家たち。
倉庫の奥へ脚を偲ばせてみればいい。
いまではビッグネームになった詩人たち。その書き残した言葉たちも眠っているのだろう。

詩集なんて一度みれば読まないしもう古いよ。持てば手垢の付く紙には抵抗がある。
しかし大切に保管すれば突然消えることもない。
もう何年になるだろう。
こちらにもいくつかの名前でわたしの数多くの沈作が埋もれたまま眠っている。
ほとんど振り返ることもないが、未だに指先ひとつで現れてくるのはありがたいことだ。※あれ?この人パスワード忘れちゃってるよ。汗、
、なんてこともあるだろう。
これは残してもいいかな、と自分で思える作品も選べばひとつふたつはある。はずだ。
こうして長い歴史のあるサイトに書き込んできて本当によかった。

懊悩の日々。辛い仕事。破滅。そして別れ。好きな歌を聴き、鼻歌でやり過ごしながら涙で耐えてきた毎日。
 同じように、詩はそのためにあるものだ。
無名の詩書きが、小さな詩集の片隅で、一遍紙に残して置いてもいいような気がしている。
これも残された人生を振り返るときの s「冥土への土産にはなるだろう」 dys


    
        

              ※ りつさんが提案している詩集の件を受けての雑文ですが、賛同者が多ければもちろん費用の負担も少なくなるでしょう。自分の書き残したものが仮名とともに印刷される。ひとつでもふたつでもいい。 メインとしてビッグネームの方にも詩をひとつ提供してもらいましょう。倉庫の中の詩。あるいは新作でもいい。こちら現代詩フォーラムに思い入れもあるのならば、きっと賛同してもらえるはずです。 こちらに据え置かれた詩人たちの数を眺めれば、本気で作る気があれば200人くらいはきっと集まると信じている。わたしです。皆様も一度考えてみられては如何でしょうか。 棚の中に睡る詩を。   敬具





散文(批評随筆小説等) 『冥土の土産』 Copyright 洗貝新 2025-08-04 18:39:54
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