あなたに語る戦後80年ろん序しょう
室町 礼
「戦後」というのは例の太平洋戦争。
日本帝国がアメリカやイギリスとドンパチやら
かしたあの戦争のことです。「ろん」というの
はまあおれの戦後80年の「お気持ちの表明」
てことかな。
おれごときのお気持ちを表明しても意味ないし、
それよりもあなたはおれよりも比較にならない
ほど頭がよくて、とくにあなたのこゝろは頭と
同じくらいに比類なく誠実でやさしい。だから
本なんか一冊だって読まないし、そのくせ何も
かも心得ていて九大医学部にトップ合格した弟
さんですら学業やスポーツの成績を比較して親
父さんからいつも小言を食らっていたと今にな
って愚痴っているくらいだ。その頭脳も身体能
力も抜群だったあなたがどうしてマンガを含め
一冊の本も読まないのか、テレビも見ないのか。
全校一の成績だったのに高校を中退して北海道
あたりの小さな喫茶店のホールスタッフをやっ
ているのか聞いたこともなかったし、聞く気も
ないとは
いえ、
まして「詩」なんて、あなたのことだからそん
なもの見たことも聞いたこともない石ころ扱い
で腹の底から笑い飛ばしそうだ。
ああ、ほらね、
「戦後」と「ろん」を聞いただけでもうあなた
は眠そうな目をしている。
おれはね、そういうあなたが興味をもって聞き
耳を立ててくれるような話がしたくて
中味よりもどう語れば関心をもってくれるか、
そのことに日々苦心しているんです、
まあ、今回も失敗に終わりそうな予感がするけ
どさて、いちおうはじめるか。
戦後日本人はどうしてここまで劣化したのか。
なにからなにまで劣化しているのですが、とく
に精神ですね。
もう底なしに幼稚になっている。
2000年以後の小説や詩の完膚なきまでの劣化卑
小ぶり。しかもそれでいて「これでいいのだ」と
ヘラヘラと平気でいられる精神の落魄の見事さ。
いろいろ考えてみまして結局、敗戦後のGHQによ
る対日占領工作というものが相当に影響している
のではないかと思い至りました。ということで、
今一度、敗戦直下の言論情況というものに目をそ
えて、それがどのように現在に及んでいるか、
それを見極めようということであまり気に乗らな
かった加藤典洋『敗戦後論』を読みました。
この本は1991年に起きた湾岸戦争時に日本の文学
者たちが出した「反戦声明」への批判を手がかりに
戦後知識人の意識のねじれに迫ろうという言説が中
心になっているわけですが、
その文学者の「声明」のほうはいつもの紋切りこと
ばでこういうことをいってます。
われわれは、直接的にであれ間接的にであれ
日本が戦争に加担することを望まない。
(「文学者の反戦声明」)
高橋源一郎とか中上健次とかいった小説家そにれ詩人
たちが参加しているのですが
これを目にしたわたしの心の声。
(「●カいってるんじゃねえよ、
きみたちがこの国に生まれて以来、ずっと今まできみ
たちは箸の上げ下げ、よちよち歩きするたびにずっと
戦争に加担してきたんだよ。息を吐くたび、道を歩く
たびに欧米の侵略戦争に加担し続けているこの植民地
国家ニッポンにいて、よくもそんな底抜けのバ●なこ
とがいえたものだ。」)
湾岸戦争の原因は
またしてもインディアの襲撃や日本の真珠湾攻撃や北
ベトナムのトンキン湾攻撃やロシアのウクライナ侵攻
と同じく、
”イラクがクエートに侵攻した”からだというものだっ
た。
噴飯もののいつもの物語が語られ「正義の」欧米が
それを懲らしめるため正義の「多国籍軍」を編成して
イラクを攻撃、クエートを「解放」したといういつも
の茶番がとりあえず頭から信じられている。その茶番
への批判はそっちのけで
「日本が戦争に加担することを望まない」と声明した
ところで、きみたちが国際資本の隷属下にある日本の
新聞や雑誌に
何か書くたびに戦争に加担しているんだよ。
そんな自意識もないのだから世話が焼ける。
ああ、こんなだから日本現代詩人会も「プーチンの不
条理」なんていう馬鹿丸出しの声明が出せるんだな。
何の内省もなく歴史の点検もなく現象の精査もなく
へらへらといつも一枚のコピーのように「文学者の声
明」なる営業用文章が用意されている。
愚鈍なニッポン知識人への怒りが
ふつふつと湧いてきたのですが、あなたのことだから
話の内容よりもわたしのタコのように赤らんだふくれ
ツラをみて眠気から少し覚めて笑うかもしれません。
文学者の声明を批判する加藤典洋の方も
まあ、お話にならない。
日本を含む世界の資本主義大国間の資本の動向を歴史
的地球的規模の視野で丹念に研究も洞察もしないで、
戦後GHQが日本人の心に贖罪意識を植え付けようとし
て利用した朝日、毎日という
戦前も戦後も構造としては一ミリも変わらない反動報
道機関のフェイク情報を鵜呑みにしてすべてを論じて
いる。
なにが「アジア二千万人の死の責任」だ。そんなもの
を日本や日本人に押し付けられるいわれはどこにもな
い。そんなたわごとは欧米の資本の論理が精密なマシ
ーンのように動いて出来上がった邪悪の構造のなかに
書き込まれた一行のプログラムにすぎない。
もちろん阿呆な天皇家にも何の責任もない。
インディアが襲撃の責任を押し付けられたように、ベ
トナムやイラクやアフガンが、攻撃や侵略の責任を押
し付けられたように、ロシアがウクライナ侵攻の責任
を押し付けられたように巨大資本によって日本も太平
洋戦争の責任を押し付けられたにすぎない。
それを朝日、毎日、NHK、
それにたかる知識人が贖罪意識にまで高めたとしても
だ。
ただ、前から言うように
昭和天皇は国民を代表してあえて切腹するべきだった。
それは戦争を企画した欧米資本への嫌味でもないし、
こいつら欧米資本が殺したに等しい「アジア二千万
人の死の責任」への落とし前ではなく日本国民への教
育としての切腹であるべきだった。
まあ、暗愚な天皇ごときに、そんなことは無理だった
ろう。今の石破と少しも変わらないやんごとなきお方
だから。しかし石破を笑えない。今の知識人も昭和天
皇や石破と少しもかわらない無であることは確かだ。
戦後知識人の盲点は高橋典洋もそうだが地球的な俯瞰
視線で太平洋戦争の全体像を見ようとせず、欧米そし
て中国の戦争責任がまるでなかったようにふるまった
ことだ。
もちろん、欧米や中国の戦争責任、そんな発言を発す
れば即座に言論世界から
抹殺されていただろう。『敗戦後論』で文学者の声明
を批判しただけで高橋はずっと長い間干されたのだか
ら。
だから本多勝一ですらわけのわからない国家批判はし
ても巨大資本への言及はいっさいなかった。
今もそれは変わらない。だれ一人、ほんとうのことを
いおうとしないで、
いや、いやそうじゃない、世間知らずだから最初から
いえないのですよ。幼稚園児のように何もわからないし、
金魚鉢にいけられて小説や詩や批評という営業にいそし
んでいる。こんな世界に生きていることは作家として
恥辱以外の何ものでもないとして市ヶ谷自衛隊東部方面
総監室で切腹した小説家もいたが、
他方で
あなたのように一切の本を読まず、コーヒーを好み、
ダンスに打ち講じる女性もいる。ありあまる豊かな才能
をドブのように捨てて.....。
それを見ていて腹が立つのです。
この国で文学にかかわることがこれほどの恥辱である
国にしたクズ。いっさいの焦燥もなく平然と笑む文学の人。
そこにはおれも含まれるのだけど。
ああ、やだやだ。