「幸福の陰影」
asagohan


 そこは帰りの電車の中
車窓から夕焼けの光が眩しくて
ブレザーを着た私は何かを思い出せないでいる。
黄色い稲穂が靡く
田園地帯を通り過ぎると
終点に行き着く。
降りる時に女の人が
遠くの席からこちらを見ていた。
終点なのにあの人は降りないのかと
そう考えたら
電車は走り去っていた。

 そこは古い家
生徒達が私にこの町の歴史を
尋ねていた。
一通り話し終えると
生徒の一人がこういった。
「なぜ、あの御寺はたくさんのお地蔵さんで ぎゅうぎゅうなの?」
「あのお地蔵さん達は、土地に縁の持てなかった人達を鎮める為のものだよ」
「・・・先生もこの中に入るの?」 その一言で場面が変わる。
 蝉の鳴き声が降り注ぐ
高く積み重なった白い地蔵達が前に私は立たされる。
夏の日差しが輪郭線をぼやかし、白い骨の塊のように見えた。
「・・・ああ、仕方ないかな。」
誰もいない境内で一人つぶやく
縁を持てなかったものは世の中を怨む
それを鎮めるものだとかつて父は言った。
怨みはしない、怨みはしない。と私はそう呟く。

突然の足音に気づき、ふりかえると
女の背中が階段に消えていく所だった。
私は追いかけようとするが 伸ばした手は枯れ木のように細くなり、
声は老人のように嗄れた。


そこは...

うっすらと額に汗で滲ませながら
水道の蛇口をひねる

顔の見えない女がちらつく夢
涼しげな紺のワンピース
夏なのに日焼けしてない白い肌

私はせり上がる何かを思い出しかけている。

蝉の声がやけに大きいと思って
ふりかえるとベランダに女の影が立っていた。
「どうして、そんな姿で現れるんだ。」
・・・どうせならば
姿を現してくれとそう願った。

「あなたが逃げたの、幸福から...」
そう、冷たい声が部屋中に響くと

逆光で伸びた女の影が私を呑み込んだ。


散文(批評随筆小説等) 「幸福の陰影」 Copyright asagohan 2025-07-12 15:53:09
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