カフカに思う
こたろう

 カフカはするめイカだ。するめテクストと呼びたい。文体は質素だし、感情は薄いし、一見晦渋。テーマが見えにくい論文みたいな印象。でも、少しずつ奥に踏み込んでいくと、ヘンテコなユーモアや皮肉がアミノ酸みたいに味わいを出す。ジョイスの絢爛豪華な知的遊戯ももちろん好きだけど、質素さから奥行きのあるヘンテコ世界を生み出す技倆は文章の規範みたいなものだ。カフカから学ぶことがたくさんたくさんある。 正直なところ、カフカもろくに知らずに小説や詩を書いている連中なんて片腹痛い。

 ブランショが言っているけど、カフカの小説は砂漠だ。約束の地カナーンを求めてそこを彷徨う主人公。でも、カナーンを求めること、それは「意識的に」そこから遠ざかること。メビウスの輪のように、表と裏が地続きになった世界で、存在しえない表と裏の変わり目に見い出す、虚数のようなもの。砂漠は虚数をよりよく見せるための条件。蜃気楼のような、実体なき視覚像。一面に広がる不毛の砂漠だからこそ見ることが許されるカナーン。

 小説の砂漠は言葉の砂漠。水を溜め木を生やすことが出来ない言語的土壌、それは外国語話者のことではないだろうか。言葉の意味が深く根を下ろすことが難しい土壌。言葉の砂漠、それは意味が貯まることのない土壌。意味が貯まらないゆえに、そこに幾多もの意味を流し込める土壌。母国語の持つ意味=規範を越える力を持った言葉。

 カフカの小説は感情移入を拒む。そして感情移入することが、読みとしてどれだけ浅はかかを知らせてくれる。感情移入ではなく、言葉と言葉の連なりから愉楽を汲み取る読み、カフカが感じていたであろう言葉を繋げていく密やかな快楽、言葉たちが演じる新たな意味作用を見つける喜び、彼の小説が提供してくれるものとはこういったものなのだと思う。もっとも散文的な要素から、かつてあったためしのない詩情を生み出したのがカフカだ、クンデラのこの表現は正しい。

 カフカは小説という形式を使って、詩を書いたんだ。


散文(批評随筆小説等) カフカに思う Copyright こたろう 2005-05-30 18:28:04
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