今日からあなたの先生を呼び捨てにしなさい
室町 礼
1996年から2002年にかけて北九州一家監禁殺人事件
というものがありました。
犯人は一家5人とその知人2名を通算6年ものあいだ
監禁してしかも家族同士に殺人を強要したのです。
ぞっとするような犯罪を犯す輩というものは総じてIQ
が高いものですがこの男もIQが非常に高い男でしてそ
の後の心理鑑定でも180近い値を出しています。
ちなみにわたしのIQはこの殺人犯の半分、90ほどしか
ありませんのでデカい事件は起こせそうにありません。
それはともかく、
あまりにも凄惨な事件なのでメディアも報道を控える
ほどだったのですが、不思議なのは監禁されていた少
女が犯人の命令で買い物に行かされていたのに警察に
駆け込まなかったことです。
祖父の家にも寄っていましたが救けを求めることがで
きなかった。少女は不思議な呪縛にかかっており犯人
の命令に従うしかなかったようです。
いったいこの家族全員にどのような種類の呪縛(マイ
ンドコントロール)が働いていたのか、ある理由があ
って当時のわたしは個人的に強い関心を持ちました。
わたしの体験を話しますと幼児期に父親の虐待を受け
て何度も死にかけたことがトラウマになったのかどう
か子どものときから非常な怖がりでした。
孤児養護施設という所は親がいない子どもの世界です。
この世界でものをいうのは腕力でした。ケンカが弱い
ということは子どもの王国の最低の位置にランクされ
ることになります。
人と諍うことが出来ないわたしはいつもヒエラルキー
の下段にいて数名の心優しき仲間と隅っこでぼそぼそ
語らいながら生きていました。
わたしがどこまで怖がりだったかというとキャッチボ
ールも出来ない。球が顔面めがけて飛んでくるのが怖
くて見ていられず目をつむったまま硬球を顔面で受け
止めてしまい周囲をあ然とさせました。
それ以後わたしは野球が出来なくなり、50名ほどい
た園児の中で唯一、みなが学校の校庭を借りて野球試
合にゆくときにも施設に一人残ってじっとクツジョク
に耐えていました。当然20名ほどいた女の子たち
からも、そういうときには特に目立つために軽蔑され
てまったく誰からも相手にされませんでした。
たぶん本に走ったのはこいうことがあったからだろう
と思っています。読書は、小説や批評に限らずわたし
にとってはアイアンドームのような避難場所でした。
ちょっとしたことにも恐怖を感じて身がすくんでしま
う性質は青年になってもかわらず、あるとき、東京を
さすらっていたとき仕事を探すまで一時的に食事と宿
を与えてくれる奇篤な中産階級の老人の邸に厄介にな
ったことがあります。
もとは銀行の支店長だったらしいこの爺さんはキリス
ト教の信仰が篤く教義上の理由から慈善活動をしてい
たようです。二階広間にテレビ室というものがあり、
あるときそこへ行ってテレビを見ていると、突然、先
輩にあたる中年のヤクザのような男が「今からこの室
を出ていくやつは殺す」といい出しました。
何をいってるんだこの男はとわたしは思ったのですが
脅迫めいた口舌が止まらない。「身体も動かすな。
黙っておれがいいというまでテレビを見てろ」そ
の言いっぷりがなんというか神のように自信に満ちて
いる。動けば殺されるのは間違いないと確信したわたしは
ヘビに睨まれたカエルのような状態になり金縛りにあ
って一ミリも動けなくなりました。他の者は、恐る恐
るでもトイレに行くとか、ちょっと用事があるからと
いって室を出てゆくのですがわたしは完全な呪縛にか
かってしまって中年男のいうがまま二時間近く男がも
ういいというまで動けなかった。
あとでまったくもって自分が自分で情けなくて寝床に
入ってから悔やんだのですがそれにしてもあの男のあ
の自信に満ちた神のように微動もしない脅迫のことば
はいったいどこから来るのだろうかと考えました。世
の中には怖ろしい人間がいるものだ。
ところが翌日の夕方、テレビ室のほうで何やらドタバ
タ騒ぎがあるので見に行くと、あの神のように思えた
男が邸の主の爺さんに首もとを掴まれて引きづり出さ
れていくところでした。あの、傲岸に聳え立つ"純粋な
狂気"の男が「すみません、すみません」と涙まで流し
て非力な爺さんに許しを乞うている。みると痩せたし
ょぼいチンケな中年男でした。
しかし爺さんは許そうとせず「おまえのような不良を
ここに置いておくわけにはいかん。とっとと出ていけ」
と厳しく叱責して、男を二階の階段から引きずり降ろ
してしまいました。
わたしは呆気にとられて、いったいおれは昨日、何を
見て何に怯えていたのかとショックを受けました。
わたしは体力がかなりありました。肉体労働をしてい
たので筋力と持久力はあり、ケンカになればそれほど
ひ弱ではないと思っていました。また、人一倍恐怖心
が強いのにスポーツといえば命を賭してやらなければ
ならないようなものをやってきたものです。バイクや
サーフィンなどいまだに思い出すだに恐怖にかられま
す。よくあんな無茶なことができたものだと。とてつ
もなく危ないことばかり挑戦してきました。
それなのに何故わたしはチンケな中年男に恫喝されて
萎縮してしまったのか?
おそらく虐待を受けた父親の像があの男にかぶさって
恐怖から身動きできなかったのではないか。確たる根
拠はありませんが、それ以外に考えられませんでした。
自分が作り出した恐怖に勝手に怯え、怖がっていたの
ではないか。──つくづく
人間というものの意識の在り方というか作り方の粗雑
さにうんざりしました。北九州一家監禁殺人事件のよ
うに人間は簡単に他者に呪縛され金縛りにあって何で
もしてしまう存在なのです。
しかしなんとなく頭でわかったからといってすぐにわ
たし特有の暴力に対する過剰な恐怖心がなくなるわけ
ではありませんでした。わたしの自由意志を奪うこの
得体のしれないものを解き放つには肉体的な死より精
神の死の体験が必要だったのです。
わたしの暴力からの解放は、それから後、しばらく決
死の覚悟と勇気を試されるときがくるまで待たねばな
りませんでした。
それについては詳細に語る必要もある出来事なので次
の機会にしたいのですが、
あえてラインを述べればそれは
中沢新一のいう「割礼体験」ですね。中沢にとって彼
の精神の死体験はチベットでの修行であったというの
ですが彼はそれを「割礼体験」といった。
あ、白状しますがわたしも二十歳ころまではホーケー
でした。ほうけ、と言ってもらっては困る。これ、ほ
んとに嫌だったんだよねー。
で、中沢にいわせると日本の知識人、学者、作家、詩
人たち音楽や絵画などの芸術家もそうですがどなたも
「ひと皮剥けてない」というのです、精神的には。
どうしてこんなことに知識人が気づいたのか、わたし
はずっと以前からそう思っていたのでそれを指摘した
中沢に驚愕しました。
「知識人にしては珍しくバカじゃない」
要するにサルトルが当時しきりに語っていた「自由」
というのはなにも観念的な思想だけの問題ではなくま
さしく暴力(権力)による恐怖の呪縛を自ら解くとい
うことでした。それに比べれば当時お坊ちゃま全学連
がわいわいやっていた国家権力がどうのこうの体制が
どうのこうのというお祭り騒ぎは、わたしにしてみれ
ばちゃんちゃらおかしいお子ちゃまの政治的ままごと
ごっこにしか映りませんでした。暴・力というものの
ほんとうの怖さを底の底のところでわかっている思想
家や批評家がいまの日本に何人いるでしょうか。
おそらくジャーナルな人たちの中には皆無だと見てい
ます。だから島田雅彦だの宮台真司だのかんたんにテ
ロや暴力を肯定してしまう。それは死刑反対の辺見庸
だってそうだし内田樹なんかもそうです。な~んにも
知らない。均一化された戦後偏差値秀才たちは概念や
観念でしか言葉をとらえられないのです。そしてそん
な自分を疑うこともできない。
偏差値教育システムの秀才くんたちがやれ大宰がどう
の、日本人はどうのとしきりに顔を照からして語って
いますが、さてどんな人生を送ってきたかというとド
ングリの背比べで日本らしくほんとうに皆さん缶詰工
場の缶詰のように均質なんです。つまりある種の呪縛
の中にいて、その呪縛をみることすら出来ていないで
どっぷり疑うこともなく漬かっている。そこから、ど
んな批評が生まれるというのでしょう。アホらしくて
死にたくなるほどです。
わたしが中沢新一を評価したのは人間の知性の問題に
は知性だけでは解決できないものがあることを悟り、
チベットへ修行に行ったことです。そしてそれを「割
礼」という比喩で語ったことです。これだけでもうこ
の人物は思想家の名に値すると思いました。
えー
突然、そこで思い出したのですが、
昔のアイドルに辺見マリという女性がいまして、この
人が何でも無いおばちゃんに洗脳されて5億も貢いで
しまった。
だれがみても怪しい、だれがみても西成あたりの安酒
場で飲んでそうな、品のない卑しい態度雰囲気のおば
あちゃんなのにたまたま占ってもらったのがきっかけ
で、そのおばあちゃんのいうがまま5億も貢いでしま
った。
ころっとマインドコントロールされてしまったのです
が、おもしろいというか興味深いのは先の少女もそう
ですけど辺見マリも"もう一人の自分"は自分がマイン
ドコントロールされているのを知っている。バカなこ
とをやっている自分を心の高見というか裏側というか
内心でちゃんとみているのです。
ところがわかっていながらそんな自分の行動をとめる
ことが出来ない。これはわたしの場合と同じです。
怪しいおばあちゃんのいうがまま貯金も家財も売り払
ってすってんてんになってもう貢げないというと、占
いのおばあちゃんはヌード写真集を売ってカネを稼げ
という。そこで辺見マリはいい歳をしてヌードになっ
てカネを稼ぐ。そしてとうとうもう家庭も本人も何も
かも破綻して借金まみれになってどうしょうもなくな
ったときにまたおばあちゃんから電話がかかってくる。
千万ばかり用立てろという。そこで辺見マリが何と答
えたか。
「おい、クソ婆あ、いい加減にしろ!」
だった。様子をみていたもう一人の自分が突然顔を出
していかさま占い師を罵倒するのです。つまりこの瞬
間辺見マリの呪縛は解けたのですが、いやあ、それに
しても凄いですね。
なぜもっとはやくそれが言えなかったのか、謎です。
さて、これを踏まえて、ふんまえてですね、わたしは
呪縛を解く訓練のためにあなたにやってもらいたいこ
とがあるのです。それは今からあなたの先生を呼び捨
てにしなさいということです。
多大な影響を受けて
心から心服し
敬愛している恩師などというものはどなたにも一人く
らいい、いらっしゃると思うのですが
その先生をあなたは本人の前で突然、呼び捨てにでき
ますか?
もの凄い抵抗があると思いますし、そもそもそんなこ
とする必要がどこにあるの?というはなしです。
しかしよく考えてみると「恩師」とか「先生」という
ことばにこめられた敬愛と尊敬の気持ちはどこから来
たのでしょう?
わたしは呪縛の一種だと思っています。わたしにだって
呼び捨てなど本人の前で出来そうにないですけど、
(なぜかというと尊敬し敬服する恩師、先生の名を呼び
捨てにするということは自分を呼び捨てにする行為にほ
かならないからです)
さあて、でも、是非みなさんにやってもらいたいのです。
まあだれ一人そんなことは無理だと思いますけど。
(つづく)