刻印の脈動
ホロウ・シカエルボク
血をよこせ、と内なる声は確かに言ったけど、それがどういう種類の飢えなのか俺には上手く判断することが出来なかった、贄なのか、それとも、もっと精神的な何かなのか、まごまごしているうちに渇望は激しさを増し、俺は煽られて落ち着いて考えることが出来なかった、ちょっとした段差だと思って滑り降りたら結構な崖だった、例えるならそんな感じだ、昔に比べれば自分のことは少しは理解出来たつもりでいた、それでもやはりこんな風に翻弄されてしまうことがあるのだ、どうしても…ピントが合っていないわけではない、それに関しては俺はすぐに合わせることが出来る、考えるより先に身体が動き出す、求めるものが何なのかは本能が理解している、でも具体的にどういうものなのかということについてはまるで知らない、それでいいと思っている、知り得る真実など結局のところ、大樹の枝葉のようなものだ、いつかは知ることが出来るのか、それとも断片をいくつか搔き集めるだけに終わるのか、それはわからない、でも時間がかかるだろうことはすぐに見当がつくのだから、急いで結論を出すことはない、早く身体を作りたいからと沢山の食物を身体にぶち込んでも血や血液に変わるまでには途方も無い時間を必要とする、それと同じことだ、途方も無い時間をかける覚悟がないのなら、始めからこんなものには手を付けないほうがいい、おそらくは一本道なのだ、こうした道はすべて、ただ先が遠過ぎて、どうなっているのかわからないだけだ、普通の道と違い、例えばエンジンがついたものに乗ったところで辿り着くことが出来るかと言えばそれは不可能だ、この道を歩くには一足一足にどんな感触があるのかをその都度確かめながら歩いて行くより他無い、単なる移動では無いのだ、それは言うなれば成長の様なものなのだから、ある程度は確かめ、ある程度は流れに任せることが必要になる、自分にこだわるだけでは、自分が得るべきもののことはわからない、俺は流れに任せることにした、考えることを止め、思いつくままに動いてみることにした、こういうことは初めてじゃない、俺で在りながら俺では無いような存在が肉体の中に在って、そいつは時々こんな風に闇雲に暴れ出すときがある、なだめればだいたいは静まるのだけれど、今日の様に行くところまで行かせろと叫び散らして収集がつかなくなる時がある、それはもう濁流のようなもので、拒んでもがくよりは受け入れて身を任せる方が余程効率的にやり過ごすことが出来る、わかりやすく言えば、限界突破、限界を超えるというやつだ、時にその機会は、予期せぬ角度から訪れることがある、予期せぬ限界の予兆は、ほぼ例外無く恐怖に似た感触でやって来る、このまま身を任せたら死ぬかもしれない、という怖れが邪魔をする、いい意味で自己を投げ出さなければならない、死んだらそれまでだ、と思えるかどうか、それが予期せぬ限界を超えるかどうかのポイントになる、実際、やり損ねたら死んでしまうのかどうかは俺にはわからない、俺はまだ死んだことがないからだ、おお、それは大袈裟だとしても―未知なるものを拒否しない、未知なるものに怯えないということだ、それが自分自身の血肉となれば、新たな視点、新たな手法というものが加わる、これはあくまで自分の感覚が掴むものという意味だ、自転車に補助輪をつける、というようなことでは決してない、まあ、補助輪だって、いつかは外すことが出来るかもしれないけれど…パン、パン、パンと、水面に散る雨粒の様なリズムで光が跳ねる、新たな速度、新たな断面がそこにはある、俺はいつだって初めて書くように書いていたい、それにはいつだって昨日より少し上を目指す必要がある、そうするにはどうすればいいのかって?俺の書くものは一見いつだって同じものだけれど、その日その日によってテーマにする場所が違う、それは内容の時もあるし、手法である時もある、ただひとつ変わらないのは、その時書こうとしていることをそのまま放り出すということだけだ、例えばキーボードを叩くリズム、思考のスピード、そんなものを気分で変えていく、一人でジャム・セッションをしているみたいな感じさ、それは勝手に決まっているんだ、いつだって望む形というのは勝手に決まっている、あとはそれを感知するアンテナがきちんとさえしていればいい、その日のビートを正しく受け取って、こちらの手札を出していく、人間は思考に従えば思考以外のことは出来ない、でも、思考を抱いたまま身体を解放すれば思考の根源をダイレクトに書き出すことが出来る、いままでこんなことが書かれてきた、今はこんな風に書くべきだ、そんなことはどうでもいい、俺はいつだって初めて書くように書いていたい、初めて書かれたものはいつだって根源について語られている、でも、いつだって初めて書くように書くことなんか出来やしない、だからみんな道に迷う、でも、沢山の道を歩いて、沢山の方法を得て、それの使いどころを理解すれば、初めて書いたみたいに書くことは出来る、そしてそれは、初めて書いたときよりもだいたい上手く出来ている、いつだってそこには俺の鼓動が刻まれているし、俺の証が刻まれているんだ。