空に還る雨
まーつん
一
目ざめの雨音が
昨日の悲しみを洗い流す
クズと呼ぶ声、狂った手もと
外した目論見、無残な成果
傘を置いたまま外に出て
頭から水に打たれると
体温と記憶とが
皮膚から剥がれ落ちていく
垂直な川となって
忘却の海へと下っていく
古き懊悩の流れ
街をふらふら、彷徨い歩いて
向けられる奇異の目を避け
明日へとよじ昇る手がかりを
見つけようと視線を走らせるが
家々の門戸は閉ざされ
行きかう人からは顔が溶け落ち
私の足元を流れる落ち葉だけが
この往行の道連れだった
地を這う雨の水音は
歩みと共に高まっていき
靄のベールを潜り抜けた先には
大きな滝があった
大地を横切る
見渡す限りの切り欠きが
私の行く手を通せんぼしていた
そこを乗り越えた水の膜が
深い谷底へ落ちていく
縁に立ち尽くすと
眼下にたなびく水煙の向こうに
沢山の悲しみが溺れていた
人々の心から洗い流された
記憶の影が、暗い光景が
元いた場所に戻ろうと
もがいていた
打ち付ける雨水は
泡立ち、飛沫を上げ
人々がかつて、閉じ込められていた
出口のない、苦悩の迷路を溶かしていく
二
汚れの落ちた私の身体は
いつしか、透き通るように軽くなり
笑みを浮かべて見上げた空から
雲は徐々に引いていく
宙に浮くほど軽くなった気分で
翼を気取って両腕を広げると
流水に足を取られた身体が
バランスを失い、宙に舞った
雲間から射す陽光と
ぱらつく雨を浴びながら
パジャマ姿の私は
眼下の広大な滝つぼへと
落ちていく
ちぎれ雲の下を舞う鳥と
一瞬目が合った
あいつには、どう見えているかなと
脳裏を掠める些細な問いかけ
雨上がりと共に
滝の水は尽き
全ての憂いを飲み込んだ雨水が
お日様の呼び声に応え
私と入れ違いに
無数の光の滴となって
天に昇っていく
すれ違う光の粒から
誰かの悲しみが
微かな空気の震えとなって
私の鼓膜に触れてくる
その中には
身に覚えのある
響きも交じっていた
落下していく私は
感謝の思いと共に
それを見送っていた
重力の鎖で手繰り寄せた私の身体を
数秒後に粉々にするであろう
硬い地表のことなど
すっかり忘れて
風が心地よく私を乾かし
パジャマが凧の様にはためく
生まれたての赤ん坊みたいに
無垢になった私を、抱きとめようとする死が
ゆっくりと伸ばしてくる腕の気配を
ぼんやりと感じていた