子供のころ、近所には……
大町綾音

 子供のころ、近所には羊を飼っている牧場があった。
 わたしは、<そう>ではなかったけれど、兄たちは身体も丈夫で、スポーツも万能で、今でこそ教授だとか外資系のマネージャーだとか、そういうヤクザな仕事をしているのだが(リーマン・ショックなんかを経験した今になって、そういう仕事がヤクザな仕事じゃなかったら、どういう仕事がヤクザな仕事だろう?)、そのころには、近所の子供たちの間でのガキ大将的な存在だった……のではないのかな、って思う。……時間の経過というものは、恐ろしい。

(わたしですらが、ネット上ではおしとやかなふりをして、「〜ですが」とか「〜かしら?」とか、気取った物言いをしているが、これらは全てレトリックなのであって、わたしは本来そういうタイプではない──腐女子では、ある)

 さて、「子供のころ〜牧場があった」などという文章を書こうと思ったのは、今夜──ではなくて今朝、のわたしがけっこうナイーブな気分であるからなんだろうと思う。

 本当は、桜の木の思い出を交えて、母の死について話そうと思っていた。でも、どうしてもそんな気もちになれない。死の間際、死んでから、の母の面影が脳裏に浮かんで消えなくなってしまう。……正に、「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!」である。

 さて、近所の牧場のことなのだが、実際は羊を見に行くようなことはほとんどなくて、わたしは一度だけ、子供たち一行でその牧場の隣にあるキャベツ畑に──もちろん、このキャベツは羊たちの餌だったろう──モンシロチョウの卵を取りに行ったときのことだけを覚えている。その光景が、後ろで触れる「しろばんば」のなかで、子供たちがバスや乗り合いを追いかけて村はずれの隧道(トンネル)まで行く、その様子にそっくりだった……

 そのころのわたしたちは、そんな野山でミニ・スキーと呼ばれる玩具のスキーで滑ったり(残念なことに、わたしはそれが滑れなくって、兄たちを置いて一人で泣いて帰るようなこともあった)、広大な公園でそれこそ誰からも見つけてもらえなくなるようなかくれんぼをしたり(大人が見れば「広大」ではなかったのかもしれないが、子供たちの目から見れば、当時でも現代でも十分に「広大」である)、あるいは白鳥の飛来する(そのころは、鷺)沼の畔にある原始林で、木の幹にからみつく蔦をブランコにして楽しんだり……とまあ、そんな野蛮な遊びに興じていた(女の子たちが野蛮でなくなるのは、小学校か中学校を卒業して、ゴム跳びなんていうイジメをしなくなってからである)。

 こんな思い出が、「文学」と結びつくのかどうか分からないが、少なくとも妥協点として、「芸術」に結びつくことがあれば、それでいいのだろう……と、数日考えていた。

 ところで、井上靖の「しろばんば」は、冒頭こんなふうに始まる。

「その頃、と言っても大正四、五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決って村の子供たちは口々に“しろばんば、しろばんば”」と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮遊している白い小さな生き物を追いかけて遊んだ。」

 どうだろう、この「いま」(1960年当時)から「四十数年前」というのが、不思議にわたしたちにとっての「四十数年前」とシンクロするようである。
 それだからこそ、慢性脳硬膜下血腫で倒れた父の<頭のリハビリ>に、とわたしが言ってこの本を差し出すと、父は一日に数十ページほども(明かりを点けない暗い部屋のなかでさえ)夢中で読んだのである。
 そもそも、子供のころには、教科書で一部を読んで面白いと思った「しろばんば」を、父の本棚で見つけ、わたしも夢中で読み、この本には続きがあることを知った後で街の書店へ続編(「夏草冬濤」と「北の海」)を買いに行き、さらにそれらの本も父に勧めた……と、ここまでが思い出なのである。
 こんな経験は他にもあって、例えば菊地秀行の「吸血鬼ハンター“D”」とか……ライトノベルかよ(でも、父はこれも夢中で読んだ、つまり、感性がわたしと同じである)。

 話がこんなふうにぐだぐだになってしまったけれど、もともとオタクで腐女子なわたしなのだから、結論は初めから決っているようなものなのである──どうか呆れずにお付き合いいただければ、と思う次第なのだった(いまは、腐女子にとっての天使、坂本龍一の「Merry Christmas Mr.Lawrence」を聴いている……)。いや、本当はわたしは、「いまは、少しノイズが交じるラジオを聴いていて……」という文章でもこの話を始めようと思っていた。ラジオの話がないと、多分坂本龍一の話も意味が通じなくなってしまうのだが……、とにかく、坂本龍一の「Merry Christmas Mr.Lawrence」を聴いている……とても静かで、落ち着いた午前である。


散文(批評随筆小説等) 子供のころ、近所には…… Copyright 大町綾音 2025-05-17 03:17:35
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