味気ない朝
山人
頭の中は常に混とんとしている。思考を切り刻んで並べてみれば、なにもさしたる問題はないのかもしれないのだが、何もできないでいる。と言っても、何もしないわけではなく、それなりに勤務仕事に出、家業も請けたものは消化している。ただ、おそらくだが、自分の体内の何かが異常をきたしているのかもしれない。頭重もするし、なによりも体調が良くない。
なにもかも放り出してどこかへ行きたい、消えたい。そんなことを考えたりもする。消えるというのはそういう暗示ではなく、失せたいと思うのだ。勤務での小隊の中から失せたいという気持ちは相変わらず強いが、もういまは小隊という群れにこだわらない。タイミングが合えば、その一角に集ることもあるが、もう孤立して良いんじゃないかと思っている。やはり人は群れたがるものなのだ。そう感じてしまう。
5月10日土曜日、朝わずかな家業をこなしたあと、私は頭重で再び床を敷き、トドのように寝そべり動画を見ていた。ユーチューブもガセネタが氾濫し、視聴回数だけを取りに来ているものが酷く多い。そんなガセネタについて必死に言及しているコメンテーターも多々いる。私も含め暇人だなと。頭重で何もする気が起きなくて、ネトフリ映画も見るのも億劫な時は、こんな風に手っ取り早く昔の雑貨屋のようなところに足を運んでしまうのだ。外ではずいぶんと車の往来が多い気がした。それはおそらく近くの有名な蕎麦屋に入る前に予約を済ませた客が時間調整のために走り回っているのであろう。そういえば数年前、1枚の美味い蕎麦のために遠方からわざわざ私の山小屋に一泊してくれた家族もいた。私とその蕎麦店主の間の確執など知る由もないその家族は実に幸福そうであった。その蕎麦店主が私の勤務先の代表者なのである。まったく笑えてしまう。言わば私は気に入らないオンパレードの人たちの中で働く、名も無い異国民のような気分なのだ。と、そこまで極端な思考をする私が一番おかしいのかも知れない。
5月11日、体調は若干よくなった気がしていた。数日後、わずか一人の常連客が来るのでその準備のために、仕入れに出かけた。醤油、サランラップ、自分で使う歯磨き粉、ニジマスの冷凍品、その他メニューに必要な食材の仕入れなどを済ませ、帰りにスパーの一角に洋菓子コーナーがあり、そこでカスタードクリームオンリーのシュークリームを2個買い車の中で中で食した。昨今の洋菓子は子供が食べる影響を考慮してか、ほとんど洋酒を使っていない気がする。カスタードクリームと言えば、バニラエッセンスとラム酒を入れて作ったものだ。ちなみに私は3年半ほど洋菓子製造をしたことがある。シューとはキャベツのことで、本来焼き立てのシューは固く、そのパリッとした皮でクリームを掬いながら食べるという作法であったはずなのに、いつの間にはやわらかい生地になってしまったのだ。
家に戻った私は、本来何もしない気でいたが、なぜかすべてやってしまおうか、という気分になった。浴室を2つ掃除し、部屋掃除もしサッシを久々に拭いた。自分用の洗濯もしすべて終わり、一時パソコンの前にたたずんでみたが、ふと外に出るべきであろうという気になった。すぐ近くの採石場に行き、出たてのフキノトウをレジ袋に詰め込み、あちこち歩いた。楽しくはなかった。普通の人は山菜採りを楽しいと思うのだろう。私もかつてはそうだった。とってきた山菜の後始末は母がやってくれた頃には採ることだけが趣味であったが、いまではその後の処理はすべて自分がやらなければならない。大きなボールに湯を沸かし、塩茹で。良くごみを洗い、小さくパッキング後冷凍する。どれだけ採れば、どれだけの手間暇がかかるかという計算をしないといけない。そんなことをこれからしばらく続ける必要がある。ただ、時にそこら辺の野鳥と会話したり、いつもの大木やら花などがあれば、彼らとその場その場の会話がある。彼らと触れ合うとき、私は、ああ私がいるんだなと、ほっこりしてしまう。自分の居場所はここにしかないんだなという感覚だ。誰ともつるまず個で生き続ける(偶然にも繁殖はあるが)彼らを見ていると山の体内にいるような感覚になる。
今日の朝は1時半に目が覚め、それ以来こうしてうだうだと過ごし、気が付けばもう5時近くなってしまった。人臭い人々の中での一日がまた始まる。そして何食わぬ顔で作業に勤しむ私がいる。現実がにょろにょろと触手を伸ばし、朝を脱糞している。まったく、なんて朝というのは味気ないものなのだろう。