「ピーパリ」を食べる
室町 礼
米の値段が二倍になって
サバの値段も三倍になって
白菜は知らないけれど
りんご四倍
キャベツは五倍
ポリコレはヒャク倍だ、ひやっ。
激安スーパー越前屋で「ピーパリ」という
米菓子を買った。五十粒ほど入った親指大
の丸い米菓子の中にカシューナッツが入っ
ているという売り込みで一箱130円。
3箱買いました。さっそく家に帰って
iQIYI(アイチーイー)やMangoTV(マン
ゴテレビ)など中国本土の配信会社のドラ
マをチェックし、「ピーパリ」を皿にあけ
てパリパリ。予想外に美味しい。
無名の製菓会社にしては美味すぎる。しか
しカシューナッツが入ってない。
よく見ると数個ばかり色が濃いものがあっ
て半分ナッツが飛び出ている。それは本物
らしくナッツっぽい味がする。でも全部じゃ
ない。箱を仔細に点検すると右下の隅っこ
のほうにちぃさーい字で「目安個数3個」
と印刷してあった。
たった3個?そりゃあないべ。詐欺だべ。
詐欺じゃない、小さいけどちゃんと書いて
あるだろ。そういわれりゃなにもいえない。
そもそもふつうに考えて全部に高価なナッ
ツが入ってるはずはない。美味しいから許
せるものの、しかし日本は貧乏になった、
せこくなった。
youtubeをみると
比較的好感のもてる文芸批評家浜崎洋介が
その問題について語っている。
小林秀雄や夏目漱石などを出して日本人は
なぜダメになったか、自己喪失してしまっ
たか人文の歴史の流れから解き明かして延
々と語るのですが講談みたいで面白い。
【読みながら手が震えてくる...石破茂、
裏切りの人生】
(京都大学/文芸批評家:浜崎洋介)
https://www.youtube.com/watch?v=xBDl__yOdv4&t=413s
「石破茂という人には何もない。葛藤とか
悩みとかそこからくる思考とかそこでの決
断とかは一切ありません」
あるのは快・不快の波だけで心地よいもの
に寄っていく昆虫のような指向性だけだと
いうのです。
石破茂の自伝を読みながら浜崎は手が震え
てきてゾッとするというのですが、
わたしがゾッとしたのはこの快・不快への
アンテナしかない昆虫のような石破が即ち
わたしでもあるということ、もっというと
今の日本人の"昆虫性"そのものであるとい
うことですね。
批評とか評論というのは一種の講談ですか
ら物語ですから面白いのは面白いですけど、
必ずしも真実でも事実でも「ほんとう」で
もない。いかにも真実や「ほんとう」のよ
うに感じられたら得かもしれないけど、信
じ込んでしまうと損かもしれない。これは
構造主義思想もマルクスも現代文芸批評理
論もぜんぶそうだと思うんです。
そこで中国ドラマのことを考える。
中共政府の独裁体制や反日教育政策には嫌
悪を覚えるのですが、中国本土のドラマは
面白い。日米のドラマが力を失くして停滞
しているのに比べて作品全体に目力(めぢ
から)がある。
中国の底辺家庭を描くドラマはずいぶん見
ましたがどれも秀逸で『人世間』などは、
ディズニーが買い取って独占配信権を得る
ほどの世界的評価を得たドラマですが日本
ではまったく知られていないのが残念です。
『白鹿原』なんか見ればNHKのウソにま
みれた綺麗ごと連発の朝ドラなんかもう見
れなくなる。
まず中国の家庭ドラマに出てくる父親は子
どもの面倒などほとんど見ない非常に身勝
手な父親です。息子や娘が成人して困難に
直面し困っていても助けようともせず、に
っちもさっちもいかない子どもたちを前に
ぬけぬけとおれの面倒をみろと無理難題を
ふっかける。
もちろん中国の一般家庭の父親がそんな父
親ばかりではないだろうけど、なぜか自己
中の父親が出てくるドラマが多くそれが変
に面白い。あまり非難されない存在として
描かれる。身勝手な親なんだけど仕方ねえ
なあという感じで許される。
この父親像は今の日本のドラマでは考えら
れないわがままさだとは思うけど、よく考
えてみるとこれもありだなと思う。
それは中国の子どもたちがこういう父親か
ら「世の中には理不尽なことがあたりまえ
にあるのであって、それは別段ちっとも不
思議なことでもなんでもない」
ということを学ぶからじゃないかとおもう
からです。
戦前の日本はほぼそうでした。太宰治の
「子供より親が大事、と思いたい」という
呟きは世の中をはばかって生活する「道学
者ばかりの世間」になったことへの困惑だ
ったようにも見える。
任侠映画で一躍有名になった池部良という
役者がいますがこの人の随筆シリーズ『そ
よ風、ときにはつむじ風』が面白いと評判
なので読んでみると明治の江戸っ子気質の
親父と自分の関わりを描いているのですが、
ようするに戦前の父親は理不尽で横柄で威
張っていた。夕餉の席で親父がサンマ三匹
なら子どもは一匹です。それが当然あたり
まえだった。親父がそれは黒だといえば白
でも黒といわねばならない。理不尽です。
不条理です。でもそういうところから子ど
もは何かを学んだ。
ごりごりの戦争反対主義者であるわたしが
徴兵制に賛成なのは、子どもは大人になる
前に一度軍隊で理不尽さと暴力の恐怖を身
をもって学ぶべきだと考えるからです。机
に並んだ本を読んでもそんなものはわかり
ません。観念ではなく具体的な個々人の暴
力の理不尽さや恐ろしさ──今の自衛隊て
のは食い詰め者も多いし、常識も知性もあ
まり役に立たない共同生活を強いられるで
しょう。そこでは暴力もあるしイジメもあ
る。知性的で理性的な発言など通用しない。
とくに圧倒的な暴力の前で人間はいかに無
力になるか。それを知れば戦争が知識や観
念としてではなく人間の存在にとって如何
に忌避すべきおぞましいものであるかわか
る。戦前も戦後も詩人たちが簡単に戦争体
制に迎合してしまえるのはそういうものが
あらかじめ意識から完全に欠落しているか
らです。
何度もいいますが日本現代詩人会のあの
「プーチンの不条理」という声明。あれは
ウクライナ&ロシア両国の兵士が一日50
00人規模で死んでいく現実を容認するに
等しい発言です。「プーチンの不条理」と
いう言葉のもとで戦争は続けられ、日本は
いまウクライナ戦争に加担して欧米巨大資
本による戦争継続をたすけている。つまり
日本現代詩人会の会員1030名は迂遠に両国
の兵士を殺すことによってカネを儲けるシス
テムに自ら組み込まれている。
「あんたらは人殺しで強盗の仲間なんだ」
あの声明がなかったら何もいいませんが、
政治的な声明を出してしまった以上もうち
ゃらちゃらしたポエムを書いていてもだれ
からも責められない詩人の特権を放棄した
に等しいのですよ。
責任がつきまといます。
日本の文学者がこういう間違いを犯すのは
いつも机の上の観念でしか物事を考えてい
ないからかもしれないと疑っています。
で? おまえお菓子の話はどうなったのだ、
戦後日本人がおかしくなった理由は?
じつは、話が脱線してしまいまして。えー
とケツロンをいいますと、親父が横暴さと
理不尽さを取り戻してガキを徹底的にしご
いていじめろということです。つまらんケツ
ロンですが。
あ、虐待はいけませんよ。虐待は。わたしは
実の親に虐待されてトラウマをたぶん抱え込
んでいますが、親の横暴さ身勝手さと、いわ
ゆる虐待てのは正反対のものなんです。まっ
たくそっくり似ていますが、ここのところの
見極めすらできないから、世の中おかしくな
ってしまったんでしょうけどね。ハラスメン
トなんかもそうで、
やさしさと紙一重のものがあって、ほんとう
はもっとデリケイトに扱うべきものなんです
が、ハラスメントという言葉の消毒液と一緒
にわたしたちは大事なものを洗い流してしま
った。
ほんとうに鈍感で分厚い皮膚をしたつるつる
の人間ばかりの世の中にしてしまった。
いまのほとんどの詩人たちはリベラルな考え
に無自覚に汚染されているのでしょうけど、
間違ってますよ。立憲とか社民党とかあの手
のリベラリズム。自公も維新も売国ですが、
サヨクリベラルも日本に恐怖をもたらします。
いずれ。