物語は終わり、別な物語がまた始まる
山人

 まったく仕事のない家業の室内で、山に行かない日はひたすらネットフリックスを鑑賞し、厭になると動画サイトを見る、現代詩フォーラムを徘徊し気になる作品にポイントを付与。そのほか、時折自分のための料理を作ったり、そのほかの雑用をするといった生活が続いている。
 先月家業は少し景況感があったが、今月になり、雪消えは一気に進み、客の雪山のモチベーションは下がっているのか閑古鳥が巣食っている。よって、天気が良ければ山スキーを趣味として行っている。山スキーは昨今BC(バックカントリー)と呼ばれている。古き良き時代のスキー板をザックに括りつけて山に向かうというオールドスタイルは失せ、今はスキー板の滑走面にシールと呼ばれる粘着力のある化学繊維の皮を張り付けてスキー板ごと歩いて登るのである。登山とスキー滑走が両方楽しめて、スキー滑走できるが故に早く降りてこれるという利点がある。
 つい先ごろまでそんな山行きを25回ほど実施した。67歳になった今、過去最高の回数をこなした。おかげで最近は足腰が痛み、徐々にモチベーションは雪の消え具合とともに低下し、そろそろ潮時という気がしている。
 昨年12月10日から3月20日まで、無人駅の常用作業員として雇用され、つい先ごろまで失業中という名目であった。数日前に職安に最終出頭し、保険金給付の書面をもらった。日当の5割程度×40日分の額であるから、失業中の身では助かる額だ。
 数日後、グリーンシーズンの雇用先から5月1日から雇い入れの連絡があった。また始まるのか、という失意に襲われた。それも連休明けからではなく、1日からだという。暗い目をし、ぼそぼそと会話をする私がそこにいるわけだが、まったく肩身の狭い月日がまた始まるのだ。それを再び7か月我慢しなければならない。それを考えると気持ちが塞いでいくのを感じる。
 そういえばH氏と8回ほどBCに行った。彼は同部落の人間だが、実家は新潟県長岡市であり、勤務は東京の大手ゼネコン勤務だった。数年前に定年となり、今は此方に別荘を構え、この集落の住民となって四季を通じ住んでいる。年齢は63歳だが悠々自適のようで、山歩きをしたいがためにこちらの移り住み、仕事はしていない。さらに外向的で明朗、だれとでも仲良くコミュニケーションが取れるという、まさに私とは真逆にいる方である。互いに話をし、つきあうことにより、この人とは合わない、あるいは合う、といった感覚はだれにもあるものだが、H氏は私より山に精通し、知識が豊富だ。よって私はずいぶん彼を頼っている部分もある。貧乏な私と裕福なH氏という取り合わせは奇妙なものではある。それは、同じ傷を舐めあうような関係性とは真逆の関係であり、それでも同一の目的に向かうことに障害になるものではない。私が彼のように高学歴で高収入の会社に就職などできようもなく、私が今まで来た道は唯一無二のものであったということだ。救いはH氏よりスキーが巧いということくらいだろう。彼とはもう一回ほど山行きをする計画がある。それを最後に今期は同行することもないだろう。彼はさらにこれから別な山域へと足を伸ばし、遊び、悠々自適な世界を謳歌するのである。
 私の中の冬がしおれかけている。しおれてぐずぐずになったゲル状の中でうごめいている。まだ訪れていない世界のことを心配し、憂いている自分がいる。
 H氏は再び新しい遊びに精を出し、私は現実へと帰ってゆく。それは運命ではあるが、宿命ではない。
 


散文(批評随筆小説等) 物語は終わり、別な物語がまた始まる Copyright 山人 2025-04-20 07:20:11
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