3月初めのメモ
由比良 倖
2月はとても調子が悪かった。どろどろした重力に耐えて生きているだけで、ほとんど精一杯だった。読んだ本はたった一冊だけ。3月に入ってからも、相変わらず気分の悪さは続いています。
一ヶ月間、何にも無かったような気がするけれど、いくつかいいことはあった。まず、少しだけ、内向的な気分を思い出せた。眼鏡が壊れたけれど、代わりにいい眼鏡を買えた。ディスプレイと椅子を新しく買った。ギターアンプを改良して修繕したら、とてもいい音が出るようになった。よく机の下に毛布を敷いて眠るようになった。机の下から見える部屋の中は、他人の部屋みたいで落ち着く。自分が、きちんと保護された漂流者になった気がする。あと、インクが詰まって使えなくなっていたペリカンの万年筆が、何度かインクを出し入れしては辛抱強く書いていたら、ちゃんと使えるようになった。
個人的な感傷で生きている。今日(3月3日)は病院の日だったけれど、僕は少し多めに薬を飲んでいたので(本当に悪い習慣だと思う)、数日間薬が欠乏していて、本当にひどい状態だった。それで、母に薬だけ貰いに病院に行ってもらった。僕は昨日の朝から全く眠れなくて、本当に三十時間くらい椅子に坐ってた。何も食べず、お茶だけを飲んで。アニメ(リゼロ)を2話見て、あとはノートに万年筆でひたすら書いてた。あまりに書き過ぎたので、久しぶりに右手の手首から力が抜け始めて、少し震えるので、腱鞘炎になる前にリストバンドを着けた。
音楽を聴いていると、ときどき昔の気持ちを思い出す。大抵はとても寂しい気持ちだ。死んだ祖母のことと、誰も友達がいなくて、友達になりたいと思える人もいなかった十代の初めの頃の、どうしようもなく孤独で、とにかく周りに合わせようと必死だった日々を思い出して、そして無理に付き合って友達の振りをしていた奴の顔を思い出した。相手の方も多分僕に無理して付き合っていたんだろうな、何故なら高校生活で誰も話し相手がいないのは致命的なことだから、と思うと、詩を書きたくなった。
僕は中学二年の頃、本当に誰とも話さなかった。家族はいないのも同然で、父は僕を見れば説教をして、母はおろおろしているばかりだった。中三のときにフリースクールに行ったことは、本当に、本当にいい思い出。そこで親友に出会ったから。彼ほど魅力的な人は滅多にいないし、友人になれたのは奇跡みたいな感じだ。
高校を半年も行かずに辞めて、フリースクールで出会った親友に思い切って電話を掛けたら、彼も僕とは違う高校を辞めていたと知って、僕がどんなに嬉しかったか分からない。ともかく、彼と僕とは、僕が大学に行くまで、いつもいつも一緒にいた。だから、何年会わなくても、彼との縁が切れるとは、露とも思わない。
あの頃は、十代の頃から二十代の初め頃までは、僕は本当に命がけで本と音楽を愛していた。そして、いくらでもずっと書いていることが出来た。今は書けない。本当に十年以上、僕は何にも書けた気がしない。何が好きなのかもよく分からなくなっていた。
眠れないけど、ちっとも眠くない。横になると情報がぐるぐる回って、身の置き所が無くなって、僕の身体も情報の渦に巻き取られそうな感じがする。椅子に坐っている方がずっと楽だ。母にはコーラを買ってきてもらった。しばらくコーラだけで生存していたい。糖分さえあれば、僕は十分生きていける。
今は薬を飲んでいる。だから元気だ。薬に生かされているような気がする。頭の中に弱々しい充電池があって、薬は少しだけ僕を充電してくれるけれど、満充電には決して届かない。常に切れ切れで震えるみたいに生きていて、ぎりぎりのところで病院に繋がれているような気がする。
先月の下旬に少し、意識が遠くなって、しかも冴えていて、そう言えばこの感じに、昔は好きなときに入ることが出来て、全てから切り離された世界で、宇宙の果てのシェルターで、温度の無い心地よさの中で、音楽の中で浮かびながら、電信機のようなキーボードを情熱的に打ち続けていられたな、とすごく懐かしく、嬉しく感じた。もしかしたら、僕は僕なりに回復出来るかもしれない。
小学生の頃、一番好きだった教科書は、音楽の資料集だった。楽器の写真はいくら見てても飽きなくて、特にクラリネットとか、すごい格好いいと思ってた。その後ハーモニカが好きになって、しばらく吹いていたし、十歳の時からは(ジョン・レノンの影響で)もちろんギターが大好きになった。歌うのも好きだった。歌の世界に簡単に入ることが出来た。
生活の中では、音楽はすごく遠い、ただの薄っぺらなBGMのようにしか聞こえない。アコースティックギターは買ってみたものの、とても難しかった。次にレスポールのコピーモデルを買ってもらったけれど、それも中途半端に、コードが自由に弾ける程度のレベルで頓挫した。次にテレキャスターに、完璧なくらい惹かれて、そして今はテレキャスターばかり弾いている。全然上手くなったとは言えないのだけど。
部屋の温度は24.3度。まったりと暖かい。寂しさ。無理に友達の振りをしていた人たち。そして、このまま別れることは間違ったことのように思いながら、それでもおどおどしている内に、声を掛ける機会を失って、多分永続的に縁を結べなかった人たち。
若いことは全然いいことじゃない。耐えられないことが多過ぎる。でも、よく言われることではあるけれど、他の全てを放棄してもいいから、自分が惹かれる人には、どうしても声を掛けた方がいいと思う。だって、孤独に慣れると人間がどうでも良くなる。当たり前の大好きな人がいないと、少なくとも僕はすごく簡単に犯罪者になると思う。
何と言うか、人の未知な部分に惹かれる。決まりきった人には惹かれない。人の空白の部分がとても心地よくて、空白の形に僕は自らを投影していく。だから人を好きになることはいつも思い込みなんだけど、でも、言うに言われぬ言葉を隠し持った人に惹かれないなんていうことがあり得る? いつも相手の言葉を予測しては、どきどきしている。そして相手はいつも予想を超える。何故ならもちろん相手は僕じゃないから。予定調和的な関係には耐えられない。退屈過ぎて死んでしまいそうで。
そろそろコーラが冷えてる。宇宙の果てに僕がいても、僕が日本語を書いてて、コーラはちゃんと冷えているのは、とても不思議なこと。自分はここにいないのに、この世界は僕抜きで、きちんと透明の向こう側で、いつも通り、予想通り、動いてる。でも予想通り、の世界に自分も取り込まれると、自分が無くなって、この僕もまた決まりきった運動を無理に行い続けるだけのつまらない存在になる。僕にとって、僕が耐えられない存在になる。
つまり、生きる価値が無いのはいつも、自分自身ではないんだ。自分と世界との関わり方、つまり自分の人生に価値が無くなるのであり、自分自身には価値があるもないも無い。ただの掛け替え無い宇宙であることが僕であること。
暗くなってきた。雨がやんだ。自分の内部で混線した言葉に塗れてても苦しいだけだ。他人の書いた言葉をどんどん食べて、流されて、声を新たにしていく方がいい。
トランス状態っていいよね。勝手にトランスと呼んでいる訳ではなくて、櫻井まゆさんが仮にトランスと呼んでいた状態を、僕もまた仮にそう呼んでいる。仮の言葉を仮に使うことで、言葉は少し強固になると思う。いろんな人が「あの状態」をトランスと呼ぶようになったら、やがてその状態は共通概念となるだろうから。もしかしたら、だけどね。概念というのはおかしいかもしれない。「やっぱり天国ってあるんだよ」というのが一番正しい気がする。
言葉。すごくハイな状態。トランスとか、とにかくすごく気持ち良くて楽しくて、完璧で、多分本来的な状態。そこにみんな行ける。行けないとしたら悲しい。僕はもう行けないかもしれない。でも、言葉には言葉を超えて宇宙も超えて、自分の最果てまで行くことの出来るすごい力があるということは信じてる。困難も、一生懸命な数十年も、きっと報われる。神さまはいてもいなくてもいい。「いてもいなくてもいい」が、そのまま神なのかもしれないから。
日本語を書く人は、日本語を信じて欲しい。自分を満足させるに足る、十分で、しかも可変的な力が、日本語にはあるから。どんな言語にもあると思う。言葉を変化させることで、自分が変化する。自分って水みたいな存在だ。水に濡れただけの存在じゃなくて。身体なんて無い。けどきちんと在るから大丈夫。心配しなくても何にも無くならない。
本居宣長は山桜を死ぬほど愛していた。葛飾北斎は富士山とか波を完璧に目撃したし、あらゆる形と、多分描くこと=筆を持った指先を動かすこと、を愛していた。と言うことは僕にも、僕なりに何か山桜や富嶽百景に値するものがあると言うことなのだろう。それはこのキーボードかもしれない。違うかもしれない。日本語かもしれないし、違うかも。
愛すること、愛されること、多分それだけでいい。そこに光があるから。それ以上の光があってもなくてもいい、納得出来る以上の光があるから。
でも、もっと実際的なことも書きたい。例えばすごく低俗みたいなことだけど、新しい眼鏡のフレームが微妙に合ってなくて、自力で完璧にフィットさせるのに苦労したとか。だって、眼鏡がずれたりしてるとげんなりするし、音楽が無いと嫌だし、音楽にはある程度の音質が求められるし、で。人間はある程度はアバウトな存在で、完璧じゃなくても、ある程度完璧に近いなら完璧になれる。完璧な文章は存在しないと村上春樹は(実はあんまり好きじゃないんだけど)最初の小説の最初の行で書いていた。でも、ある程度、つまりは自分なりに完璧だと、それはもう完璧ってことでいい。天国の宮殿が完璧に真っ白じゃなくても、真っ白に見えたらそれはもう真っ白ってことでいいんだ。
人間は素敵で、愛せる存在。多分、それを知っているだけでいい。