空はどこまでも白く
由比良 倖
二十歳になってすぐの頃、祖父が死んだ。
冷たい。愛が測られているのだ、と私は口に出してしまう。あるいは罪の意識の量が。だから、私は泣かない。葬式では馬鹿みたいに泣く人がいる。ちょっと羨ましいな、と思いながら、私は葬式の日って、煙草が美味しいな(年配者が多く集まるので、斎場の控え室では大抵煙草が吸える)、なんて考えて、ラッキー・ストライクの箱の赤は、おなかの中に刺さって、赤って今日、気持ちいい色だなあ、と思う。
空は晴れてるし、湿った煙が上がっている。音楽。音楽が聴きたいな、と思った。私は、初音ミクの「ヨルノソコ」という歌を口ずさんだ。「きれいな声ね」と、端で籐編みの椅子に座っていたお婆さんが言った。私は、にっこり笑って、ありがとう、と言った。
私の声は、最近綺麗になっている。まるで死者や悲しみが私の声の中の嫌なしがらみだけを取り払って、空の奥へと上らせてしまったみたいに。それは、この空の青さと矛盾しない。
私は祖父(私を、本当によく可愛がってくれた)に一番近いと言っていいくらいの遺族なのだけれど、終始一番離れた場所で、仕方なしに列席した遠い親戚の誰かみたいな顔で、薬を噛んでいた。憂鬱だった。ただただ憂鬱だった。父も、母も、それをとがめなかった。私は、入院を勧められているときだった。その頃、私は不真面目に、しかし割と本気で、死のうか、と、入水なんて案外出来るかもしれない、今は薬が山ほどあるし、と考えていた。山ほどの薬を飲んでから、私は葬式に行った。
その翌日、私は倒れた。薬のせいではなく(血液検査をされたらしい)、貧血と脱水と、精神的なショックによる嘔吐と、いわゆるてんかんではないのですが、てんかんに似たような激しい感情の動きがあるみたいですね、と医者が母に説明しているのを、ビタミン入りの点滴を受けながら、私はうつらうつらと聞いていた。
感情か。欲しいな。「感情が壊れてる」と私は誰にも聞こえない声で言った。私は、個人的な理由でしか破滅しないし、自分を確認する為にしか、人とは接さない。私が壊れるのは、私が私の世界に愛着を持てないときだけ。だから、私に感情なんてない(多分、ふつうのいみでは)。私には愛なんてない。
五時間ほど眠っていたらしい。
死は、個人的。私は、ずっと死にたいと思ってきた。生きたい、と初めて思ったとき、私はもうすぐ三十歳で、ベッドの上でこれからの誤謬の無い時間に向かって飛び起きたくなった。三十歳! あと? あと何百年生きられても不思議じゃないくらい空気がなめらかで甘くて、そして私は若かった。とても若かった。
ギターはねむっていた。ピアノはゆっくりとあそんでいた。そして私の中では、なにかが、はじまっていた。
私は、いつからかずっと眠っていた。十年間も、二十年間も。多分、その意味は分かってくれると思うし、その言葉があなたに与える、心の中の掴めない化学反応のような苛立ちも、分かると思う。
私は、三十年間、喋らなかった、だって言葉を知らなかったのだから、何も見えないし、私は死も夜も言語も知らない。だから、私は私の願望を知らなかった。知り得なかったんだ。
空を厳密に規定するならば、つまりどこからどこまでが空なのか、決めるならば、地の底に至るまで、全て空なのだ。でも、鳥かごの中でもそれでも空と言える? 空に手触りはない。汚れた雨も空であるとするなら、私が「煙草の煙は一番自由で、とても美しい空だ」と言ってはいけない理由がある?
私は言う。私の住む世界は言葉の空で満ちている。「誰にとっても美しい空なんてない」空とはただの満ち足りた白紙なんだから。書かれる前の言葉と同じ。本当はこの先は誰も生きられるはずのない、白紙の宇宙なんだ。それ故に人は言葉に縋り、言葉を耕していく。
私のラッキーストライク。私のライター。私は私の奥へ流れ去っていき、そして指先から現実へと這い上がってくる。私の透明な色をディスプレイに浮かばせる、私のコンピューター、あるいは、私のペン。
睡眠薬をさくさく噛みながら、ディスプレイに向かって、膝を抱えている。理由も無く生きれば、理由も無く死ねる。白紙の空に溶けていく。空との静かな会話の中で此岸と彼岸の境目が薄れていく。空に満たされ、私は消えて行く。
さよなら、はきっと、誰にも言わない