自分でも非常に独特な場所にいると思う。
自分に割と好意的なコメントをくださるのは、田代ひなのさんや、秋乃夕陽さんなどの一般主婦の様相を漂わせる明るい系のヲタクイメージと少し遠いところに位置する人のように思う。
文学を深く読み込んでいたり、難しい言葉を沢山知っているインテリやエリートからは『面白い』と言われる反面、不勉強を指摘されがちである。熱心なファンは中々作るのが難しい。前者はそこまで深く僕の詩を支持しているかというとそうでもないと思う。後者も距離を置きながら付き合ってくれる感じ。
なんで熱心なファンを作れないか?
僕は昔からおばさんに好かれる。母性本能がくすぐられると言われたこともある。主婦受けするとか女心をくすぐるなにかが何処かにあるのかも知れない。そこに熱心を作るのは何故難しいか? 主婦層は距離を取るのも上手いし、ソフトな対象として僕をみてると思う。ハード面でのファンがいないと成功まで行くのは難しい。
付き合ったことがないし、女性経験がない。東京に行ってない。田舎暮らし。病者と老人の世界で思春期から今の年齢まで過ごしてきた。特別惚れ込むような女性とも、中学以来出会ったこともない。それでAVなんかみて、夜の世界に出かけて女の子と楽しく喋ったことばかり思い出として残ってる。おっぱい触ったりしたんだけど。
ファンの第一は、自分の彼女なのかなあと思うことがある。その彼女がいないし、友達もいない。友達だと言ってくれた人もいた。女の子からずっと友達でいようと言われたこともある。でも友達だとは思えなかったし、友達でいることも出来なかった。
ハードに振る舞う時でも、自分はいつも胸に切なさを抱え、ハードに成りきれないソフト人間として生きてきた。
「貴方は、優しすぎる」
と良く言われた。表現者には向いてないんだろうか?
不良になろうとして髪を染めて街を歩いても、直ぐに逮捕されて精神病院。そこでいい子でいることを強要され、しなければ薬漬けと強制入院。
自分が文学の世界に顔出ししているのは一種のギャグみたいなもの。自分はサブカルチャー側のビートたけしやタモリ、とんねるずなどに位置するマルチタレント側の人間です。学識も深くないし、難しい言葉も分からない。たけしやタモリほど学があるわけでもないし、とんねるずほど開き直りが出来るほど学がないわけでもない。非常に半端なんだ。
エレカシの宮本のような人は電気グルーヴの人に
「昔、絶対に売れないと思ってた」
などと言われて売れた。その宮本に雰囲気が似てるとエレカシのファンの人から詩の内容を読んで言われたのだ。才能があったって世間ズレしてて女性と付き合ったこともない人間の書く詩の内容ってどうなんだろう? 軽率なんじゃないか?
未だ若いじゃないの? という人もいる。いくら高齢化社会でももう、三十八になる。タイムリミットや時間切れ通告を世の中からされたわけじゃないけれど、このままいくと自分は結局中原中也でもなく、太宰治でもなかったということになっていきそうだ。
作品に関して。芸には稽古が必要。その稽古する場がない。だから環境のせいにしてると思われるかも知れないけれど、協力者もいない稽古する場もない環境では今の作品クオリティが精一杯だよ。
同じサブカル肌でもおまる氏や多くの方は文学深く読み込んでるし、探究心も強い。文系の世界で僕が出来ることはトランプがペンを振るが如く、なんにも出来なくてもいいんだ、なんにも知らなくてもいいんだ、と開き直りの力で支持を集めようと努力することなのかも知れない。
最新作 俺は天下のホラ吹き男
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あさひてらす入選作 潤沢
https://webzine.asahipress.com/posts/8568