NWSF傳畸ロマン 斬魔屋カンテラ!!『生きてゐた小ノストラダムス』②
川崎都市狼 Toshiro Kawasaki
【ⅴ】
自分の引退試合の相手に、事もあらうか田所はじろさんを指名してきた。
考へてみれば、在學中にも何度か組み手をやつたが、柔術殺しの異名を取るじろさんに、田所は幾度苦杯を舐めさせられた事か。じろさんは、「負けて、去るつもりなんだな」と何やら物悲しい氣持ちで当日の試合に臨んだ。
リングサイドには、柔術の生きた傳説・田所と、カンテラ一味の喧嘩番長・じろさんとの「マジな」マッチに目を輝かせる、格闘技マニアが詰めかけた。
互ひにセコンドは付けなかつた。田所にはもう弟子・仲間はゐないのだ。それをじろさんも思ひやつたのである。
カンテラはいつもの大刀なし、羽織袴の禮装で、振袖姿がゴージャスな悦美(母、澄江さんには、あんたもう三〇過ぎたんだからやめなさい、そんな恰好。と口喧しく云はれるのだが・笑)とで、これもグレイの猫用タキシードを着て美々しいテオを連れて、観戦に來てゐた。まあ、俺も武術家の端くれだしね-カンテラの弁。「おゝ、カンテラさんだ! 悦美さん、綺麗だなあ!」観衆も大喜びである。
ゴングが鳴つた。差し手争い(大柄で筋骨隆々たる田所と、小男・痩身の、しかも久しく道着を着てゐなかつたじろさん、とではなんだかちぐはぐだ)。-と、勝負は一瞬で決まつた。
じろさんの襟首を田所が取つた、その瞬間、じろさん左手で田所の差し手をぐいと後ろに捩ぢ上げ、すると自動的に(と観客には見えた)田所は膝まづいてしまひ、更にじろさんが肩をぽん、と叩くと、苦痛に顔を歪めた田所は、崩れ落ちた。これで寢技も関節技も、じろさんには通用しないと立証された。
レフェリーストップ。リングドクターがすぐさま呼ばれた。旗はじろさんに上がつた。ゴング。試合続行不可能。田所の右肩は亞脱臼してゐた! これにはお客たちも、ヴィディオ・キャメラを構へてゐた杵塚も啞然。懐かしの、アリス『チャンピオン』の歌に送られ、タオルを被つた田所が花道を行く。幾人かの柔術マニアが「たどころ~」と見送るほかには、彼は一箇の敗者に過ぎなかつた。
その時、「笑止! 飛んだ茶番だ!」と大音聲を上げて、立ち上がつた男がゐた。多くの取り巻きを連れたその男は、髙笑ひと共に立ち去らうとした。氣色ケシキばむカンテラ。「お宅何者だ!」「わはゝ、私、丸橋小吉と申すちんけな物書きですよ。カンテラさん。わつはつは」
控へ室の田所を一味は見舞つた。「カンテラさん、仇は取つて下さい。これを」靑ざめた顔で、左手で差し出した封筒には、札束が入つてゐた。今日の興行収入ほゞ全額である。自分は道場を賣つたカネがあるから、当分は暮らしてゆける、さう幾分淋しさうに、田所は語つた。
じろさん「杵、ヴィディオは公開するなよ」
それにしてもじろさん恐るべし、と世間は賑やかであつた。
【ⅵ】
丸橋の事はテオが拔かりなく調べ上げてゐた。元々、丸橋はテレビ・ドラマのリライトなどして細々文名を長らえてゐた、文字通り「ちんけな物書き」だつた。だが、「學術社」から例の、『いかさま道場主たち、とカンテラ一味』を發表すると、東京の各地で講演の口がかゝり、一部の者らのカリスマと化してゐた、と云ふ。恐らくは、その「出世」のみぎりに、小ノストラダムスが憑依したのだ。
テ「あの時、試合の時、臭ひがしたんですよ。ありや小ノストラダムスの生まれ變はりに間違ひない、とね」カ「人間は騙せても、猫は騙せない、か。それにしても、斬つても斬つても蘇へられたんでは、俺の出番はないぞ」テ「何云つてんすか。兄貴には『修法』(眞言密教の秘術)があるぢやないスか!」
* * * *
テオは、ボーナスで買つた、脂の乘つた鯖、を骨を悦美に拔いて貰ひ、でゞこと食べてゐた。タニケイとしての印税も、テオとして貰つたボーナスも、殆ど「トラバサミ被害」に遇つた野良猫たちの為の基金に、寄付してしまつてゐる、彼だ。
「食事中濟まんね。八卦立てゝみたら、兜、と出た」「兜?」「まあ俺には分かつたのさ。時にテオ、魔界へ行くソフト、なんてきみ、プログラム出來る?」
テオの顔がぱつと明るくなつた。「頑張ります。いや、頑張りませう!」
テオは意外にも熱血漢なのだ。はたの目には怜悧に見えるが。それで田所の身の退き方に感銘を受けた、らしく、捩ぢり鉢巻きでPCに向かふ日々が幾日か續いた。