なごり雪のような雪が舞う真冬のとある日曜日
山人
天気はさほど悪くなく、三日に一度の山スキーが可能な日ではあったが、前回の山行で古傷であった膝の痛みが発症し、さしあたり体を痛める遊びは慎むべきなのではないかと山スキーはやらない日とした。
ここ一週間以上暖かい日が続き、早朝の家業宅や自宅前の除雪の必要がまったくない日が続いた。毎日それが続くと辟易するのだが、その必要が無くなると逆に除雪をしたくなるのである。雪は時折強く降ったりするが、ふいに小降りになり、やがて止み、薄日が差すなど、まるで地面に溜まるという降り方をしない。まるで冬の終わりのなごり雪のようである。こんなままで冬が終わるとは思えないが、余力のある老人たちはまだ冬と闘いたいと思うのだ。
昨年の今頃、妻と善光寺に行った記録があり、今年も行くこととした。相変わらず私は運転手を避け、助手席に座るといういつものパターンだが、それについては妻も私も異論はないのだ。それぞれが定位置にただ収まり、運転する者、傍で何か言う者、といった風なひとつのスケッチのようなものである。
県境を過ぎると長野県栄村となり、入ってすぐのところに道の駅がある。サーモス水筒二本の中にそれぞれコーヒーが入れてあり、それを飲みながらここまで来たから利尿作用の為かトイレが近くなる。トイレでは清掃員の女性が掃除をしていた。ごく一般的な安い中古車の私たち夫婦や、五百万円くらいの新車に乗った夫婦などいろいろな人々が道の駅に立ち寄り、憚りをしに来ている。それぞれの人々の頭の中にはどんな思考が存在し、どんな家畜が放牧されているのであろうか。
飯山市から中野市を通り、長野市に入り善光寺を目指す。何回も通った道でもあり、ああ、前にも来たことがある場所だ、などと思い起こされるのである。
善行寺に着く前に食事をしようと妻が言い、中野市にあるレストランに立ち寄った。比較的安価な洋食メニューセットを頼んだ。私は野菜サラダ、クリームチャウダー、豚の香草焼き&付け合わせ、コーヒーゼリー(のようなデザート)、ホットミルク、フランスパン二片とバター、という内容であった。それぞれを食べ、飲み、した後に次の料理が出てくるのだが、そのためか割とお腹が膨れてくるのである。最初にサラダ、汁物をとることで胃を一旦膨らませるという作用があるのだろう。食べるという事が一つの作業や儀式のようで、私の様な育ちの悪い人間にとっては常にみられているような感覚に陥ってしまう。思いっきり汚らしく、下品な音をたてながらがっつきたい気持ちになった。
駐車場から出ると空は少し明るくなっており、降りはしないであろうと何も持たず歩きだした。
巨大な香炉の前に並び、線香の束を買い火を点け香炉に投げ込みながら手を合わせ、その煙を体にまとう。前後には中国の方々が居り、なにか忙しそうにわからない言語を喋っている。中国の富裕層なのであろうか。そういえば大きな観光バスが数台停車していたので、それに乗ってきたものと思われた。
本堂の中に入り、木像の部位を触ることでその部分が健康または治癒するという儀式を行う。膝、肘、胸、頭、腰と年々増えているのではないか。聞き耳を立てていると、となりの家族風の方々が、全身触らないといけない、などとしゃべっていたのが印象深い。数えきれない客に触られた木像はてかてかに光っており、人々の悪い部分が如実に表れているのだ。木像を触ることで事が解決するわけではないが、その万に一つの可能性を、一つの遊びとして楽しんでいるのだ。
本堂から下の通路は多くの観光客が歩いていたが、かなり中国語と思われる言葉が飛び交い、自然と日本語に聞き耳を立てていた。 通路脇にはさまざまな出店がならび、寒い中、みな並んで食べ物屋の入り口にたむろしていた。やがて雪が勢いよく降り始め、フードを被る人やそのまま湿った雪に濡れながら歩く人に分けられた。私達は濡れながら急ぎ足で車に戻った。
再び長野市から離れ、飯山に向かいながら助手席で眠ってしまった。
車の中でいろんな会話を交わしたが、ほとんど覚えていない。昔のように何かを主張するでもなく、ふと急な階段の踊り場で、とりとめの無い会話をすることで、今を、今現在の呼吸を楽しんでいたのかもしれない。妻には妻の、私には私の、次の階段は少なくとも緩やかではないのだ。